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2017年6月

2017年6月30日 (金)

夢鏡の虚像 其の拾陸

 若い女性が数人の男達に押さえつけられて輪姦されていた。
「この鏡には、女性達が苦しむ最も残酷な場面が残留思念として、魂と共に閉じ込めてあるのだ。つまりこの女性の魂は未来永劫輪姦され続ける思念に苦しめられるというわけだ」
「なんてことを……」
「しかもこの女性は男達に襲われたのではない。私がその身体を乗っ取って、男達の前で衣服を脱がせて淫乱女を演じさせたのだ。だが身体を乗っ取られても意識ははっきりと覚醒し、目の前で意にならないことが起きていることをどうすることもできない。この女性は清廉潔白で純真無垢な生娘だったよ。さぞかし心痛な思いであっただろうな」
「貴様! 人の純真な心を無残にも踏みにじるとは許せん!」
 怒り心頭にきて我慢の限界であった。
 蘭子は片膝を付いて呪法を唱え始めた。
「バン・ウーン・タラーク・キリーク・アク」
 心臓抜き取り変死事件の時に使用したあの呪法である。
 構えた両手の間に五芒星の印が現れる。
「はっ!」
 蘭子が気を放つと同時に五芒星は魔人の額を捕らえたが、すぐに消えてしまった。
「効かない?」
「何かね、今のは? そんな呪法など、私には効かない。それでは、こちらからも攻めさせてもらおうか」

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2017年6月29日 (木)

夢鏡の虚像 其の拾伍

 その頃、蘭子は摩訶不思議なる空間を彷徨っていた。
 呪法が成功して道子の夢の中に入り込んだようである。
 それにしても、目に見える景色が異様なまでに形容しがたいもので、抽象画のキュビズムのようだったり、墨流しのようだったり、刻々と変化を続けていた。
 無理もないかもしれない。他人の夢など具象化できるものではないだろう。
 それでは夢鏡魔人は、その光景をどのように見ているのだろうか。
 その時、するどい突き刺さるような声が轟いた。
「誰だ! 私の神聖な領域を侵す奴は」
 景色の一角がスパイラル状に動いたかと思うと魔人が姿を現した。その姿が見えるのは、道子が見ている夢ではなく、実際として虚空に存在しているからだろう。
「あなたが夢鏡魔人ね」
「ほう。現世では、私のことをそう呼んでいるのかね」
「なぜ、夢に入り込んで人を苦しめるのか。そして殺してしまう」
「なぜ? それは、人が食物を摂取するのと同じだよ。私が生きるためであり、人が苦しみもがく負の精神波を命の糧としているからだよ。悪夢を見せるだけでもいいんだがね。それではつまらないから、当人に殺人を犯させたりして、より苦しむところを眺めて楽しんでいるのさ。まあ、道楽みたいなものだ」
「道楽ですって? 許せないわ。謄蛇よ、ここへ!」
 蘭子が叫ぶと、火焔に包まれた神将が現れた。式神十二神将の中でも桁違いの通力と生命力を有する四闘将【謄蛇・勾陣・青龍・六合】の一神である。
「なるほど、式神というわけか。しかし、式神では私を倒せないことは知っているのではないか?」
「おまえの精神力を削ぎ落とすくらいはできるはずだ。その間に、弱点を探し出して倒してみせる」
 はったりであった。
 おそらく、この道子の夢の中では、鏡の世界に本性を持つ夢鏡魔人は倒せないだろう。もちろん魔人の方も蘭子を倒せないのは同様である。
「こざかしい真似を……。ならばこうしてくれるわ」
 蘭子の身体が浮かび上がり、空間に出現したスパイラルの中へと、魔人共々吸い込まれていった。
 残された式神は自然消滅していった。

 そこはうって変わって荒涼としたただ広い空間だった。
 至る所に無数の鏡が浮かんでおり、足元にも水溜りのような水面が広がっている。
「これが夢鏡魔人の世界?」
「その通りだ」
 背後から声が掛かり、振り向くと夢鏡魔人がふてぶてしい表情で立っていた。
「ここは私の世界だ。鏡を通して世界中どこへでも往来できた……。しかし今は封印されて、この魔鏡のみからしか現世へ渡れなくなってしまった」
 魔人のそばに一つの鏡がスッと寄ってきた。
 そこには、道子の部屋の中の様子が映し出されていた。部屋の八方に点されたローソク、ガラステーブルの上に置かれた二対の魔鏡。そのそばで一心不乱に呪法を唱える晴代がいた。
「なるほど……。二人掛かりというわけか。娘の夢の中にいたせいで、こんな仕掛けをしていたとは気づかなかったよ。なるほどたいした陰陽師の術者のようだな」
「おまえを倒すための方策は十分にとってある。覚悟することね」
「まあ、そう急くな。私のとっておきのコレクションを見せてあげよう」
 と、パチンと指を鳴らすと、別の鏡が現れた。
 そこに映る光景を目にして息を呑む蘭子。

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2017年6月28日 (水)

夢鏡の虚像 其の拾肆

 道子の部屋の前に立つ晴代と蘭子。
「陰形{おんぎょう}の術をかけておくぞ」
 陰形の術は、平安時代前期の文徳天皇・清和天皇の頃に活躍した宮廷陰陽家の滋丘川人{しげおかのかわひと}が得意とした呪法。身を隠し守る護法の一つである。
 静かにドアを開けて中に入る二人。
 相変わらずの酷い惨状であるが、ある程度片付けなければ仕事にならない。
 床に散らばっている物を拾い上げて端に寄せ、ガラステーブルを中央に据えて作業台とする。ベッド回りも邪魔にならない程度に片付ける。
 奇門遁甲八陣の方位に当たる部屋の周囲に燭台を置いて、ローソクに火を点し、死門の位置に例の「夢鏡魔鏡」を設置する。道子と夢鏡魔鏡とを結ぶ直線上の中心に対して直交する位置に、書物庫にあった「夢の魔鏡」と「鏡の魔鏡」を平行かつ等距離に置く。
「例のものは持ってきたな」
「はい」
 蘭子は懐から紙粘土を取り出して中心点に置いた。この紙粘土には自身の髪の毛を、呪法を唱えながら練りこんで形代としたもので、夢の世界と鏡の世界を移動する蘭子の分身ともいうべきものである。さらに式神を呼び出すための呪符をその下に敷いた。
 部屋中に張り巡らされた方位陣、虚空の世界を往来するための魔鏡の配置など。
 すべて準備が整った。
「蘭子、覚悟はいいな」
 おごそかに晴代が言った。
 場合によっては、夢鏡魔人との戦いに敗れ、命を失うかもしれないし、鏡の中に閉じ込められて二度と出られなくなるかもしれない。陰陽師としてのすべての力を出し切り、命がけの戦場へと向かう蘭子の心意気は本人にしか判らない。
「はい。いつでも結構です」
 と、目を閉じ手を合わせて、精神統一をはかった。
「では、いくぞ」
 晴代が心身解縛の呪法を唱え始めると、蘭子の身体が輝きだした。身体と魂の遊離がはじまったのだ。やがて魂が完全に離れ、いとおしそうに身体にまとわりついている。
 さらに虚空転送の呪法を唱え始める晴代。すると蘭子の作った形代が輝きだした。
「夢の中へ、いざ!」
 晴代がカッと大きく目を見開いて、手を合わせてパンと鳴らすと、蘭子の魂が形代の中へと、スッと消え入った。
 大きなため息を付いて肩を下ろす晴代。
 しかし、これで終わったわけではない。深呼吸をすると再び呪法を唱え始めた。道子の生命を保ち続けるための呪法に取り掛かった。
 晴代と蘭子が全身全霊をかけた戦いが幕を下ろしたのである。

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2017年6月27日 (火)

夢鏡の虚像 其の拾参

 夜道をとぼとぼと歩いている道子。
 制服は乱れて至る所が破れている。
 自宅にたどり着き、玄関の戸を開けると無言で上がる。
 その物音に気づいた母親が台所から顔を出す。
「道子なの? 遅かったじゃない」
 しかし、その汚れた姿に驚いて、
「どうしたのよ。その格好は?」
 と、声を掛ける。
「何でもないわ」
「何でもないわじゃないでしょ。誰かに襲われたの?」
 気が気でない声で尋ね返すが、
「ちょっと転んだだけよ」
「転んだだけで、そんなになるわけないでしょ」
「いいから、放っておいてよ」
 母親の手を振り払って、階段を昇ってゆく道子。
「待ちなさい! 道子」
 居間の方で、二人のやり取りを聞いていた父親が呼び止めるが、無視して自分の部屋に入ってゆく。
「あなた、道子に何があったのでしょうか?」
「わからん。ちょっと見てくる」
 階段を昇り、道子の部屋の前に立ちノックする父親。
「パパだよ。入るけどいいよね?」
 中から返事はない。
 静かにドアを開けて中に入る父親。
 道子はベッドに俯けに伏せっていた。
「道子……」
 声を掛けると、道子が父親に向けて、激しい声で怒鳴った。
「出てってよ。何でもないんだから」
「そんなこと言っても……」
 さらにベッドに近寄る父親だったが、突然道子が起き上がって、右腕に噛みついた。ものすごい顎の力だった。筋肉を引き裂き、骨まで歯が食い込み、鮮血が辺り一面に飛び散る。思わずのけ反って、右腕を押さえ苦痛にゆがむ父親。
 開けたドアのすき間から、母親が心配そうに覗いていたが、それから信じられないことがはじまった。
「ここから出て行け!」
 と、道子が叫ぶと、ぬいぐるみなど部屋中の置物が両親めがけてくる。タンスが大きな音を立てて倒れ、カーテンが引き裂かれた。
 命からがら部屋を抜け出した両親は、まず父親の腕の治療のために、夜間診療救急病院へと車を走らせた。入院治療を勧める医者の言葉に、
「娘を放っておけるか!」
 と、自宅に舞い戻ってきたのである。
 だからといって何ができるというわけでもなし、時々娘の部屋を覗きこむが、ベッドに伏せって身動き一つしなかった。しかし、不用意に近づいて様子を見ることもかなわない。
 ほとほと困っている時に、蘭子達が訪問してきたのである。

「なるほど、良く判りました」
 父親から事情を説明され、納得した晴代が答えた。
「お願いします。娘を助けてやってください」
 必死の表情で懇願する母親。
「大丈夫です。そのために伺ったのですから」
 見つめ合って安堵する両親。
 横から井上課長が声を掛けた。
「あの……。私達に何かお手伝いできることはありますか?」
「何もありませんな。ご両親と一緒に、命が助かるよう祈っていて下さい」
「はあ……。相手が悪霊の類だと、我々には手も足も出ないということですか」
「いかにも、これから蘭子と二人で娘さんの部屋に入りますが、一切立ち入り禁止、部屋には絶対に近づかないで下さい。ご心配でしょうが、儂らを信じてすべてを託して欲しい。守れますか?」
 一同が見つめって確認しあう。
「判りました。仰せの通りにいたします。刑事さんたちもよろしいですね」
 父親が確認すると、大きく頷いて井上課長が答えた。
「無論です」
 井上課長は思い起こしていた。心臓抜き取り変死事件での、あの母親の猟奇殺人における、凍って時の止まった部屋のことを。悪霊というものが存在し、一般人にはとうてい解決できないものがあることを身に知らされていた。
「いくぞ、蘭子」
「はい!」
 晴代が掛け声と共に立ち上がり、蘭子が応えて風呂敷包みを抱えて従った。

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2017年6月26日 (月)

夢鏡の虚像 其の拾弐

 ひとまず、その部屋を退散して、応接間で相談することにする。
「ご覧になられた通りです。やはり悪魔かなんかに魅入られてしまったのですか?」
「いかにも、今夜中にも何とかしないと、娘さんは助からない」
「助からないって……。そんな、娘が……」
 相変わらず涙ぐんでいる母親。
 その肩をやさしく抱き寄せながら、
「大丈夫だよ、ママ。陰陽道の大家である土御門宮司がいらっしゃったということは、娘を助ける算段があるということだよ。ですよね?」
「いかにも」
「本当ですか、娘は助かるのですか?」
 母親の目が輝いた。
「土御門家の名誉にかけて」
 すると気が緩んだのか、顔を手で覆ってワッと泣き出した。

 その時、玄関のインターフォンが鳴った。
「私が出よう」
 いまだに泣き伏せっている母親に代わって父親が玄関に回った。
 玄関で何やら問答が聞こえていたが、戻ってきた父親に着いて、二人の男性が付いてきていた。
「井上課長さん!」
 蘭子が思わず声を出した。
 それもそのはずで、心臓抜き取り変死事件で、散々な待遇をしてくれた相手。大阪府警本部刑事課長の井上警視だったからである。
「これはどうも……。逢坂蘭子さんでしたね。その節はどうも……」
 と、蘭子を認識して頭を下げる井上課長だった。
「知り合いかね」
 晴代が蘭子に尋ねる。
「例の心臓抜き取り変死事件の担当捜査官よ」
「ああ、あれか……」
「大阪府警刑事課の井上です」
 言いながら、晴代に名刺を差し出す。
 受け取って、記されている正式な肩書きを読んで尋ねる晴代。
「捜査一課の刑事課長さんが、わざわざお見えとは、何事か起こりましたかな」
「この近くで殺人事件が起こりましてね。目撃者によりますと、こちらの娘さんが関わっているらしいとのことで、事情聴取に参った次第でして」
「ほう、殺人事件とな。どのような……」
「目撃者によりますと、こちらの娘さんに若い男が絡んでいたらしいのですが、突然男の腕が捻じ曲がり、頭が首からもぎ取られるように吹き飛んだというのです。実際の現状もその通りのままでして……。まるで怪力の持ち主かプロレスラーでもないと、ああにも……」
「とてもか弱い娘さんには不可能だとおっしゃるかな」
「その通りです。頭を抱えていたのですが、蘭子さんがこちらに見えているのをみて、少し納得できたような気がします」
「納得とは?」
「はたまた悪霊かなんかの仕業ではないかと……」
「科学捜査しか信じない警察の言葉じゃないね」
「まあ、組織的にはその通りなのですが、個人的には蘭子さんに教えられましてね。科学では解明できないものもあるということをね」
「ふん……」
 と、鼻声で答えて、両親の方に向き直る晴代だった。
「それでは、ご両親にお尋ねいたしますが、娘さんが帰宅された当時のことを、詳しく話していただけますかな」
「よろしいでしょう。お話いたしましょう」
 父親が意を決したように語り出した。

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2017年6月25日 (日)

夢鏡の虚像 其の拾壱

 道子の自宅は程遠くないところにある。
「そういえば、先日おまえが妖魔から救ったという娘はどうしておる? 魔によって女子にされたという」
「恵子ね。元気にしていますよ。あ、そこの家です」
 と、鴨川姉妹の家を指差す蘭子。
 その家をじっと眺め、妖魔の気配のないのを確認しているようすの晴代。
「そうか……。妖魔から完全に解放されたということだな」
「はい」
 再び歩き出す晴代と蘭子。
 やがて道子の自宅の前にたどり着く。
「ここです」
 立ち止まる二人。
 二階の窓を見上げる晴代は、そこに鬼火のようなものが点滅しているのを見い出していた。
「あれが見えるか、蘭子」
「はい。道子の魂が苦しんでいます。早くしないと手遅れになります」
「その通りだ」
 門をくぐって玄関に回りインターフォンを押した。
 ややあって、答が返ってくる。
「はい。どちら様ですか?」
「クラスメートの逢坂蘭子です」
「ああ、蘭子ちゃん……」
 しばらくの間があってから、玄関の扉が開いて暗い表情の母親が顔を出した。
「せっかく来ていただいたのだけど、道子が熱を出してしまって、今夜はご遠慮して頂戴ね」
「実は、その道子のことでお伺いしたんです」
「どういうことですか?」
 ここで、後に控えていた晴代が前に出てきた。
「ちょっと失礼しますよ」
「あら、これは土御門神社の宮司さん」
 神社では季節の折々に祭礼が開かれており、町内会などの寄り合いなどに、晴代は宮司としてかかさず参加している。阿倍野で暮らす人ならば、知らない者はいないという顔でもある。
「娘さんの症状は、風邪などの病気ではなく、悪魔が取り憑いているせいじゃ」
「悪魔? まさか科学的な世の中にオカルトなんて」
「いや、信じられないのは良く判りますが、娘さんの症状は本当に熱だけですか? 他に不思議な現象はありませんですかな」
 じっと母親を凝視する晴代。
 耐えられなくなって目をそらせ、喉を詰まらせたように話し出す母親。
「じ、じつは……娘は……」
 言いかけた時、奥からこの家の主人が出てきた。
「加代。娘の部屋に案内して、その目で確かめてもらった方が良い」
 その腕には痛々しいほどの包帯が巻かれていた。
「あなた!」
「その腕は、どうなされた?」
「いやはや、娘に噛み付かれましたよ。しかも尋常な力じゃない。筋肉を引き裂いて、骨にまで歯型がついています」
「なるほど。やはり悪魔が憑いていますな」
「とにかく見てやってください」
「それでは失礼しますよ」
「お邪魔します」
 草履を脱いで家に上がる晴代と蘭子。
 母親に案内されて、二階の道子の部屋に着く二人。
「十分気をつけてください。信じられないことが中で起こっていますから」
 と言いながら、部屋の戸を開ける母親だが、怖がって中へ入ろうとはしない。
 部屋の中は惨憺たるものだった。
 箪笥は倒れ、カーテンは引きちぎられ、床には飾り物・置物などが散乱していた。壁際にある紅い染みは、父親が噛まれた時の血飛沫だろう。
「まるでポルターガイスト現象ね」
 ふと、呟く蘭子。

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2017年6月24日 (土)

夢鏡の虚像 其の拾

 数時間後、祖母である土御門家晴代の居室。
 書物庫から持ち出した二枚と合わせて三枚の魔鏡を挟んで、蘭子と晴代が対面している。
「扉はしっかりと閉めて呪法は掛けてきたか?」
「はい」
「それで【夢魔人封魔法】はしっかり読んで、頭の中に叩き込んだか?」
「退滅法をも合わせてしっかりと……」
「なら、良い」
 しばし沈黙が流れた。
 庭先から虫の鳴き声が寂しく聞こえてくる。
 その泣き声に聞き入るように、庭先の方に目を向けながら、晴代が静かに尋ねる。
「これからどうするつもりだ」
「もちろん夢鏡魔人を倒します。この手で……」
「その手で倒すとな? すると退滅法の最期の手段を使うのか?」
「はい!」
「いつ?」
「今夜です」
 驚いて目を見張る晴代。
 今さっき退滅法を覚えたばかりで、いきなり実践しようというのだから無理もない。
「早急過ぎはしまいか? まだ、練習もしていないというのに」
「魔人は待ってはくれません。今夜か明日にも、友達は殺されるかもしれないのです」
「そうかもしれないが……」
 前のめりになり、手を突いて懇願する蘭子。
「お願いします。許可してください」
 目を閉じ腕を組んで考え込む晴代。
「呪法に失敗したら、その娘の命はむろん、おまえの命もないのだぞ」
「覚悟の上です!」
「そこまで言うのなら許可しよう」
「ありがとうございます」
「ただし! その呪法、儂が掛ける」
「おばあちゃんが?」
「馬鹿におしでない! これでも土御門家の総帥だぞ」
 声を荒げて怒る晴代。
「失礼しました」
 素直に謝る蘭子。
 やがて静かな口調に戻って、晴代が話し出す。
「いいか、蘭子。この呪法は失敗が許されない。その娘とおまえの命が掛かっているのだからな。未熟なおまえでは力不足だ。だから呪法は儂がやる。おまえを鏡の中の世界へ送り込んでやる。そして魔人と力の限り戦え。たとえ敗れてお前の命を失っても、その娘の命だけは守り通してやる。いいな、蘭子」
「はい、判りました」
「よし、いい返事だ」
 さわやかな笑顔になって見詰め合う二人。
 この時、蘭子は気づいていた。
 【夢鏡魔人封魔法】という書物を晴代は知っていた。当然として、実際に呪法を確かめる弟子に協力を頼んで、練習を続けていたに違いない。そして鏡の中へ自分自身や弟子達を送り込むことに成功していたのだろう。だからこその今の言葉なのである。
「そうと決まったら、早速その娘の家へ向かうぞ」
「はい!」
 蘭子は魔鏡を包み始めた。
「これを使え」
 晴代が棚から取り出してきたのは、長方形の薄い桐の箱で、蓋を開けると仕切り板が付いていた。魔鏡同士ががぶつかり合って割れるという危険性を、仕切り板が防いでくれるというわけである。魔鏡を慎重に包んで桐箱に納めて、さらに動かないように新聞紙で詰め物をして蓋をし、風呂敷で丁寧に包んで、小脇に抱えて立ち上がる蘭子。皿や鏡のような割れやすいものは、包んだ上で上下に重ねるのではなく、横に連ねるように梱包運搬するのが原則だ。
「虎徹はここに置いておくのだ。魔の精神波が漏れて呪法に支障をきたすかも知れぬ」
「判りました」
 蘭子は懐から御守懐剣を取り出して、棚の引き出しにしまった。
「よし! 行くぞ、案内しろ」
「判りました」
 二人連れ立って、近藤道子の向かうのだった。
 すでに日は暮れて辻を吹き抜ける風は冷たかった。

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2017年6月23日 (金)

夢鏡の虚像 其の玖

 こちらの夢魔人は、式神を使って退治することはできた。もう一歩進めて、鏡の中の世界の夢鏡魔人をも式神を使って倒せないものか。
 ご先祖様によれば、式神を使っても夢の中にいる魔人は倒せないらしい。となれば鏡の中へ直接式神を送り込んだらどうだろうか。
 早速、方策を練り始めることにする。現時点では鏡の中へ式神を送り込むことは不可能だった。何か特殊な道具立てを考案しなければならない。
 まず思いついたのが、合わせ鏡である。二枚の鏡を相向かわせて、その中心に式神を呼び出すための人形を置いてやる。すると双方の鏡の中には、人形と反対側の鏡の像が無限に連続して映り込まれる。この状態で鏡の中に映る人形に働きかけて、式神を出現させることができれば成功である。と、簡単に言ってしまったが、鏡の中にまで通ずる呪法がない。我々が会得しているすべての呪法は、この世界の中においてのみ通用するものだった。虚空の世界である鏡の中にまでは届かない。
 鏡を四面や六面にもしたりして、試行錯誤の日々が続くが、一向に鏡の中の人形は答えてはくれない。
 二十年の月日が過ぎ去っていた。
 未だに打開策は見い出せない。
 ほとんど諦めの心境に陥ったとき、突然閃くものがあった。
 人の夢の中には、式神を送り込ませることが可能であることは判っている。
 そうだ!
 夢の中も虚空の世界なのである。虚空の世界同士ならば、たとえ異質であっても移動が可能なのではないか?
 それは夢鏡魔人の行動を考えれば納得する。奴は夢と鏡の世界とを行き来していたではないか。
 まず式神を夢の中へ送り込み、そして鏡の中の世界へと転送するのだ。
 理論がまとまれば方策を考える。
 さらに二十年をかけて、【夢の魔鏡】と【鏡の魔鏡】という二つの魔鏡を完成させた。この二枚の鏡を相対面させ、その中央に式神を呼び出す人形を置いて準備は完了である。そして夢の世界と鏡の世界とを行き来する呪法も完成させた。
 しかし問題がある。これには夢を見てくれる実験体が必要だった。幸いにも実弟である一番弟子が名乗りを挙げてくれた。彼には大いに感謝し、成功すれば土御門家の名跡を与えると約束した。
 彼には早速眠ってもらって、人体実験がはじまった。
 そしてついに、式神を鏡の中へと送り込むことに成功したのである。さらにもう一体を送り込んで戦わせることも行ったがこれもうまくいって、こちらの世界から鏡の世界の式神を自由に使役することができるようになったのである。
 これでやっと夢鏡魔人を倒す方策が完成し、万が一復活することがあっても、この書物を読んだ後世の子孫によって倒されるだろう。
 一番弟子との約束通りに、彼に土御門家の名跡を譲り、私は引退することにした。
 それからの隠居生活は悠々自適のはずだった。
 しかし、何か物足りない。大切なものをどこかに置き忘れているような気分がどうしても拭えない。悶々とした日々が続いたある日、当然思い浮かんだのである。
 夢鏡魔人をこの手で倒せないものかと……。
 すなわち自分自身の魂を鏡の世界へ送り込んで、直接に魔人を倒したいものだと。
 思いは月日が経つに連れて大きくなってゆく。
 どうせこの身は老いさらばえて余命幾ばくもなし。たとえ失敗してもなんぼのものか、後悔はしない。
 居ても立ってもいられなくなった私は、一番弟子に頼み込んで協力してもらうことにした。もちろん名跡を継いだ彼に人体実験を行うことはできない。彼の弟子の一人が手を挙げてくれた。私にとっては孫弟子ということになる。
 そして、彼と孫弟子との協力を得て、自分自身の魂を鏡の中へ送り込むことに成功したのである。
 ここに至り、夢鏡魔人退滅法の完成を見たのである。
 果たせるかな残念なことに、夢鏡魔人はすでに【夢鏡魔人封魔法】によって魔鏡に封印されたままなので、この方策を試す機会がない。
 せめて後世の子孫のために【夢鏡魔人退滅法】を書き記しておくことにする。
     応仁元年正月二日記(西暦1467年2月6日)
          土御門晴樹

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2017年6月22日 (木)

夢鏡の虚像 其の捌

 ここで思わずため息をつく蘭子であった。
 陰陽師の家系である彼女だから納得できる内容ではあるが、一般人が読めばとても信じられないことであろう。まさに怪奇的な内容が記されていた。
 しかし疑念が一つ残った。
 この封魔法を使用すれば、夢鏡魔人を再び鏡の中へ封印することができるかも知れないが、全く同じ手が通用するかというと、魔人も馬鹿ではあるまい。必ず対抗手段を打ってくるであろう。
 悩んでいると、
「あ、続きがあるじゃない」
 書物には、まだページが残っていた。
「また、お婆ちゃんに叱られるところね。『おまえは間が抜けているぞ』はい、はい。気をつけます」
 先を読み続けることにする。
 ページをめくると、まず附録と書かれてある。さらにページをめくる。
「夢鏡魔人退滅法」
 という文字が飛び込んでくる。
「退滅法か……」
 おそらくここから先に、同梱の二枚の鏡を使って魔人を退治する方法が記されているのであろう。文字の字体がそれまでと全く異なっているところを見ると、封魔法を読んだ後世の子孫が退滅法を編み出して、その内容を書き記し附録として付け足したのだろう。
 再びその内容を現代文に直してみよう。

 ■夢鏡魔人退滅法■

 序の文。
 ご先祖様の書き残した【夢鏡魔人封魔法】を拝読し、なるほど素晴らしい呪法を完成してくれたと感謝した。
 実際にも我が世代においても、鏡を媒体とする虚空の世界に住む夢鏡魔人ほどでないにしても、亜流の夢魔人ともいうべき妖魔が徘徊し、人々を大いに苦しめているのだ。この妖魔は鏡を媒体としない実体のある魔人で、人の夢の中に入り込んで悪夢を見せ、苦しむ際に生じる負の精神波を活力源としているらしい。人を殺しはしないが、ほとんど廃人となってしまう。そして次なる獲物を見つけて乗り移るその際に、一時的に実体化する。その時が、退治する絶好の機会であるが、いつ乗り移るかが判断できない。それよりもまず、魔人に取り憑かれて悪夢を見られているのか、ただ単に自身の過去の古傷を思い出し悪夢として苦しんでいるのか、識別することが困難だ。
 仮に取り憑かれている人を見つけて魔人をその身体に一時的に封印できたとしても、相手は夢の中の虚像と化している。ご先祖様も述べておられるように虚像は絶対に倒せない。
 そこで何か策はないかと書物をあさり、ついに封魔法が書かれたこの書物を見い出した。これを参考にすれば、夢魔人を退治することはできなくても、鏡やこれに替わる何物かに封印することができるだろう。
 即座に実行に移すことにしたのだが、夢魔人は送り込んだ式神によって、あっさりと倒されてしまったのである。意外な出来事を推察するにあたり、夢鏡魔人は鏡の中の世界に生きているのに対し、夢魔人はこちらの世界に生きているという違いのせいかも知れない。
(注・これは相対性理論や量子理論の質量とエネルギー変換を考えると判りやすい。夢鏡魔人が完全なる虚像であるのに対し、夢魔人は実体があって夢の中に入る際に、その質量をエネルギー化しているのである。ゆえにそのエネルギーをゼロにしてしまえば、実体も存在しえなくなって消滅してしまうのである)

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2017年6月21日 (水)

夢鏡の虚像 其の質

 しかし、女性達の奇行死は治まらなかった。
 日常的に女性達は、炊事・洗濯・掃除と水に関わる家事に携わっている。飲料水を蓄えている水がめ、洗濯のためにタライに張った水、掃除のために桶に汲んだ水。その水面が鏡面となって【人にあらざる者】を呼び出している事がわかった。
 水はありとあらゆる場所に存在する。川の水面、防火用水、雨後の水溜りなど。
 がために、【人にあらざる者】の動きを封じることは不可能だった。
 人々は、絶大なる人気を誇っていた陰陽師に救いを求めてきた。そして、我が安部氏土御門家の門を叩いたのである。

 ■相手を知るべし。

 敵を倒すには、まず相手のことを良く知らねばならない。
 これまでに判っていることを列挙すると。
 一、若い女性に憑依して奇行死させること。
 二、鏡および鏡様になった水面などを媒介とすること。
 三、発症するのは、眠っている時に起きるらしいこと。
 四、誰もその姿を見たことがなく、おそらく人の心の中(夢?)と鏡の中とを移動するものである。これをもって今後は夢鏡魔人と称することにする。

 ■退治方法について

 これまでに述べてきたように、夢の世界と鏡の世界とを往来する虚像の魔人であることが判った。ゆえに実体である我々が虚像を倒すことは絶対に不可能である。
 では、どうすれば良いか。
 答えは一つ。
 魔人を鏡の中に閉じ込めて出られないように封印することである。
 しかし、鏡は無限に存在し、すべての鏡の封印は不可能。
 そこで、魔を封じることのできる退魔鏡を用意し、これに夢鏡魔人を追い込んで封印してしまうのである。
 魔人が鏡の世界から抜け出して、特定の女性の夢の中に憑依している時こそが、封印することのできる機会である。その女性の中に一旦封印し、かつ女性が死なないように眠らせておく。死んでしまえば夢は消失し、魔人が解放されてしまうからである。
 特定の女性の夢の中に閉じ込めたなら、夢の中に入り込むことのできる式神を使って魔人と戦わせるのだ。倒すことは不可能だろうが苦しめることはできるはずである。ここで奇門遁甲八陣の呪法を張り巡らせ、死門だけを開けておいて、そこに退魔鏡を置いておく。ここで女性の封印を解いてやると、苦し紛れに奇門遁甲の開いた門から退魔鏡の中へと逃げ込むはずである。だが飛んで火にいる夏の虫。魔人はその魔鏡からは二度と抜け出せなくなるというわけである。
 早速、退魔鏡を作ることのできる鏡師を探すことにした。しかし奇門遁甲八陣図という微細彫刻を施せる鏡師が見つからない。
 仕方なく、全国行脚しながら鏡師を探し出す旅を続け、志摩国の大王村波切というところで鏡師を見い出し、ついに退魔鏡を手に入れたのである。
 急ぎ摂津国へと引き返して阿倍野に舞い戻った。
 かねてよりの計画通りに女性の夢の中に潜んでいた夢鏡魔人を退魔鏡の中に封印することに成功した。そして地中深くに退魔鏡を埋めることにしたのである。

 しかしながら、万が一退魔鏡が掘り出されてしまうこともあり得る。そのために、後世の子孫のために、この書物を残しておこう。

 建保三年一月六日記(西暦1215年2月6日)
    土御門晴康

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2017年6月20日 (火)

夢鏡の虚像 其の陸

 錠前を外して扉を開けて中に入り、戸口脇の棚から燭台を取ってローソクに赤燐マッチで点火して明かりを確保、今度は中から閂をかける。
 なお、ここから先は呪法の使用は厳禁である。呪法の影響で書物の内容が書き換わってしまう可能性があるからだ。
 先に立って書物庫の中を進む祖母と、後に従う蘭子。
 総檜でできた書棚の前で立ち止まる祖母。燭台を棚の上に置いて、手を合わせ祈ってから、漆塗りの玉手箱のようなものを取り出した。そしてそばの所見台の上に置いた。
 飾り紐を解いて蓋を開けると、二枚の銅鏡と和綴じの本が入っていた。
 蘭子がそばに寄ってのぞき込んでいる。
 和本の表紙には達筆な墨文字で【夢鏡封魔法】と書かれている。
「これに、夢鏡の魔人を封じる方法が書かれているのですか?」
「もちろんじゃ」
「どうしてこんな本がここにあるのでしょうか?」
「阿呆なこと言ってんじゃないよ。あの魔鏡に魔人を最初に封じたのがこの本の筆者、つまり我がご先祖様だ。あの魔人を封じた後に魔鏡を地中深く埋め、それが何かのきっかけで掘り出され魔人が復活した時のために、封魔法を記した本と使用した封魔鏡を、後世の子孫のために残したのじゃ」
「あ、なるほどね」
「おまえは時々魔の抜けたことを言う。気をつけないと戦いの時に命を落とすことになるぞ」
「はい。肝に銘じて」
「とにかくじゃ、この二枚の封魔鏡は持ち出しても良いが、書物の方は厳禁じゃからな。ここで読んで頭の中に叩き込んでおくことじゃ。よいな」
「はい。わかりました」
「それじゃ。儂は戻るが、ここを出るときまたちゃんと閉めておけよ」
 と言い残して、扉の方へとスタスタと歩き出した。
 蘭子は先回りして閂を外して祖母を送り出し、再び閂を掛けると元の所見台の所に戻った。
「夢鏡封魔法か……」
 表紙に書かれた達筆な文字から、想像を絶するような内容が記されている感じが、ひしひしと伝わってくるようだ。
 息を呑み、静かに最初のページをめくる。
 毛筆で書かれた達筆な草書文字が飛び込んでくる。いわゆる平安貴族の間でもてはやされた枕草子や伊勢物語・土佐日記などに記述されている、漢字かな混じりの文体で書かれている。
 今時の女子高生にはとても読めないものであるが、幼少の頃から祖母に般若心経を写経させられ、陰陽道に関する古典書物を読誦させられた蘭子には、読むには造作もないことだった。
 さて封魔法に書かれている内容を現代文に直してお知らせしよう。

 ■夢鏡封魔法

 建久六年十二月、第八十三代土御門天皇即位し頃。(注・西暦1196年1月)
 摂津国阿倍野というところで、奇妙なる病が流行っていた。
 若い女性が、ある日突然として狂ったように踊り続け、翌日に死んだ。
 その翌日、別の女性が昼間に痴呆となって村中を徘徊し、翌日に死亡した。
 次には、やはり女性が昼間に素っ裸になって男達を誘惑し、やはり翌日には死んだが、その股間は精液まみれだった。
 時として包丁を振りかざして村民を次々と刺し続けて殺人鬼となり、最期には自分の首筋を掻き切って自害して果てた女性もいた。
 すべてに共通していることは被害者は若い女性ばかりで、奇行の果てに死亡してしまうことで、偶然なのか自宅の鏡がことごとく割られていた。同時には決して発症しないこともわかり、何か【人にあらざる者】が若い女性に次々と取り憑いては奇行を働かせて、死に至らしめているのではないかとの噂が広まった。
 そして女性が必ず持っている鏡が、その媒体となっているらしいとのことで、女性には鏡を持たせるなということになった。

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2017年6月19日 (月)

夢鏡の虚像 其の伍

「鏡の世界ですか?」
「そうだ。本来なら鏡のある所ならどこにでも出没できる能力があるのだが、奇門遁甲八陣図の効力がまだ残っていて、この鏡を通してのみしか動けないようだ」
「退治する方法はありますか?」
「こやつは、こちらの世界にいる時は人の夢に巣食っている。要するにこちらの世界にいる人間にとっては、実体のない虚像の魔人なのだ。実体であるおまえが虚像を倒すことは絶対に不可能だ」
「夢と鏡の中の魔人……」
「じゃが、策がないでもない」
「どうするのですか?」
「まず奴が人の夢に入り込んでいる時に、おまえ自身も自分の精神つまり魂をその人の夢の中に送り込むのだ。すると奴は、おまえの魂を自分の世界である鏡の中へ引きずり込もうとするだろう。それが奴の本性なのだからな。して、ここからが本番だ。鏡の中は奴の世界だから、魂を完全に閉じ込めてしまうこともできる。それはつまり、現実の世界のおまえの死ということを意味するわけだ」
「身体と魂を引き離されたら、死を意味しますね」
「だが、それを防ぐ手立てが一つだけある。着いて来なさい」
 祖母は立ち上がって、蘭子を案内して先に歩き出した。
 障子が勝手に開いた。
 目には見えないが、式神を使役して開けさせているのである。呪法の力を衰えさせないために、日常的に訓練として行っているらしい。並みの陰陽師なら、式神を呼び出すのに呪符を使い呪文を唱える。しかし祖母のような熟達者ともなると、心の中で念ずるだけで、式神を呼び出せるのである。
 二人が向かっている先は書物庫であった。
 神社が建立されて以来の重要な書物が所蔵されている。陰陽道五行思想、天文学、易学、時計などの学問を記述した陰陽道関連の書物が数多い。特に呪法、呪符、呪文について書かれた文献は、門外不出となっている。書物庫の周囲には、奇門遁甲八陣の結界が張り巡らされ、【人にあらざる者】から貴重な書物が奪われるのを防いでいる。さらに周囲には一般人が侵入しないように、立ち入り禁止の柵も巡らされており、その柵板にも魔除けの鎮宅七十二霊符の呪符が描かれている。
 ほぼ完璧な霊的防御陣が敷かれていた。

 書物庫に近づくに連れて、二人の歩き方に変化が現れた。
 地面を踏みしめ呪文を唱えながら千鳥足風にして歩く。魔を祓い大地の霊を鎮める呪法の一つで、【兎歩】と呼ばれる。
 書物庫の扉の前にたどり着いた。遁甲式盤という方位魔術の図柄が彫りこまれた錠前が掛けられていた。書物庫全体に掛けられた結界陣と違って、錠前にのみに呪法が掛けられていて、鍵穴が見当たらなかった。呪法によって巧妙に隠されているのである。
 祖母が、顎をしゃくり上げるようにして、
「おまえ、やってみろ」
 と、言っているようであった。
 錠前に向かい、細心の注意を払いながら開門の呪文を唱える蘭子。
 やがて錠前が輝いたかと思うと、鍵穴が現れた。
 祖母から鍵を受け取って鍵穴に差し込むと、ピキンという音と共に錠前が開いた。
 ほっと安堵のため息をついて、胸をなで下ろす蘭子。
「……まあまあだな」
 時間が掛かりすぎていた。
 祖母なら一瞬にして開けてしまうところである。

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2017年6月18日 (日)

夢鏡の虚像 其の肆

「そうでしたか……。犠牲者の方々は、すべて鏡と対面した直後に亡くなられたのですか?」
「いや、数ヶ月生きていた例もあるよ。しかし、まるで認知症のようになってしまったり、ヒステリーを起こして自殺したり、何日間も高熱で苦しんだりいろいろあるが、結局最後には死んでしまったよ。私が知っている事と言えばこんなところだ。とにかくかなり古くからこの学校にあったみたいだが、生徒はもちろんだが教諭たちも人事異動や退職で、どんどん入れ替わって事件があってもいずれ忘れさられてゆく。そんな時にポッカリと現れて事件を起こしている感があるな」
「良く判りました。お伺いした内容は参考にして対応策を検討してみます。では、鏡は大切にお預かりします」
「うむ。よろしく頼むよ」
「それでは失礼します」
 深々とお辞儀をして校長室を退室する蘭子。
 とにかく大急ぎで取り掛からなければならなかった。
 道子が鏡と対面し、【人間にあらざる者】に取り憑かれた可能性が高かった。そしていずれは死に至り、鏡の中に取り込まれてしまう。
 クラスメートをそんなことにはさせたくなった。
 似たような事例が他にないか、対処法はあるのか調べねばなるまい。
 となれば、土御門屋敷の祖母にあって相談するしかないだろう。

 土御門屋敷は学校からほど遠くない所にある。
 表門玄関は、立派な神社の境内をかなりの距離を通り抜けていかねばならぬので、近道である裏門から出入りするのが日常である。
「お邪魔しまーす」
 勝手知ったる祖母の家。遠慮はいらぬ。
 まずは挨拶をするために祖母の部屋に伺うことにする。
 礼儀にうるさい祖母なので、障子の前に正座して声を掛ける。
「蘭子です」
「入ってよいぞ」
「失礼します」
 許可を得て、両手を添えて片側の障子を静かに開ける。
 中に入ったら、同じような動作で障子を閉めるのだ。
 祖母は、目ざとく蘭子の持参した鏡を見て言った。
「ただならぬ物を持ってきたようだな」
「はい。今日はこの鏡のことでご相談に伺いました」
 鏡のカバーを外して、祖母の前に差し出す蘭子。
「どうやら魔鏡のようだな。しかも妖魔が封じられていたようだ。今は解放されて自由に出入りができるようだ。鏡面に光を当てて反射光を、そこの白壁に映してみよ」
 障子を開けて日光を取り入れ指示通りに行うと、白壁に文様がくっきりと映し出された。
 魔鏡は、日光などの平行線的な光を反射させると、表面にはないはずの像が投影される銅鏡である。鏡面には目には見えないほどの微細な凹凸があり、これが光を乱反射させて文様を浮かび上がらせるのである。
 鏡面を磨く時、一定以上の薄さまで鏡を研磨すると、手の圧力によって鏡面がしなり、版画のように裏面の文様が表面に凹凸を生じさせるのである。
「奇門遁甲八陣図か……。これは本来、退魔鏡として魔を封じるために製作されたのだろうが、長い年月の間に鏡の面に微妙な傷や歪みを生じ、魔を封じる力が減少して魔が解放されたのであろう。この妖魔は鏡を媒体として、鏡の中の世界と現実の世界とを行き来しているようだ」

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2017年6月17日 (土)

夢鏡の虚像 其の参

「実は、この鏡のことなんですが……」
 鏡を覆っているカバーを外して単刀直入に切り出す蘭子。
 すると校長の表情が見る間に変わっていく。
「そ、それをどこから持ってきた?」
 口調も怯えた様子で、いつもの張りのある声とはほど遠い。
「講堂の舞台袖です。清掃中に生徒が見つけました。呪われていると思いますので、持ち帰って除霊なり封印したいと思います」
「呪われているのが判るのか?」
「はい。間違いありません。この鏡には呪われて亡くなられた人たちの霊が閉じ込められて苦しんでいます。放っておいては、さらなる犠牲者が出るかもしれません」
「そこまで判るのか? さすが陰陽道の安部清明の末裔だな。古くは遣唐使となった阿部仲麻呂の子孫らしいな」
「いいえ、清明の先祖説にはいくつかあって、【竹取物語】にも登場する右大臣阿部御主人{あべのみうし}が直系ということになっています。やがて安部氏となり、摂津国に入った一族が摂津土御門家を名乗ることととなりました」
「まあ、どっちにしても阿部氏の一族というわけだ。ともかく、その鏡のことは君の思うとおりにしなさい」
「ありがとうございます。ご存知であれば、これまでの犠牲者の方々のことなどをお話して頂ければありがたいのですが……」
「いいだろう。知っている限りのことを話してやろう」
「お願いします」
 口調を改めて話し出す校長だった。
「まず、その鏡がどうしてここにあること自体が不明なのだ。何せ学校創立が戦前の大正十一年だからな。私の知っている最初の犠牲者と思われる事件は、創立五十周年記念として行われた文化祭において講堂での演劇部の芝居の時に起きた。当時、源氏物語を現代風にアレンジして上演していたのだが、待ち人来たらずで鏡を見てため息をつくシーンでヒロインが急に倒れたのだ。急ぎ代役を立てて上演は続行され、その生徒を救急車で病院へ運んだ。しかし、治療の甲斐なく原因不明の病気で死亡した」
「原因不明の病死ですか?」
「その通りだ。その次の犠牲者も演劇部員で、幼稚園の交流公演として白雪姫を演じていた時だった。継母役の生徒が鏡に向かって問いかける場面になったが、その時は何事もおこらなかった。終幕間際の鏡に向かう場面で、「白雪姫が一番美しい」と鏡が答える場面の直後に、突然倒れたのだ。そして「鏡がしゃべった」と言い残して亡くなった」
「鏡自身がしゃべったのですか?」
「ああ、鏡役のナレーションではなく、鏡が直接しゃべったというのだ」
「やはり鏡には、魔物かなんかが住み着いているようですね」
「私もそう思うよ。その後も鏡にまつわる事件が起こった。鏡を手放すなり処分しようかという話もあったが、不幸となる物を他人に押し付けるのは如何なものかと、校庭の片隅に埋めたのだが、とある地震の時に土地が陥没して鏡が出てきてしまった。再度埋め戻しても大雨でまたしても……。その後もいろんな所に隠したりもしたのだが、結局今日のように見つけ出されてしまう。やはり魔物が住み着いていて、この学校の生徒を死に至らしめるために、現れているとしか思えない」

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2017年6月16日 (金)

夢鏡の虚像 其の弐

 鏡に映った像を自分自身と認識できる能力を【鏡映認知】と呼ぶ。その能力のない鳥などが、自動車のバックミラーなどに映った自分の姿に対して攻撃をする様子はよく見られる現象である。
 鏡に自分が映るという現象は、古来から神秘的にとらえられ、こちら側の世界とあちら側にあるもう一つの世界とを隔てる【物】と考えられて、祭祀や王墓の副葬品などの道具として用いられるようになった。考古学調査で出土される平縁神獣鏡や三角縁神獣鏡などがその例である。「三種の神器」の一つである八咫鏡が最も有名である。
 もし鏡の中の自分が、こちらの自分自身とは違う表情や動きを見せたら?
 例えば、こちらはすましているのに、向こうでは笑っていたら?

「ひっ!」
 突然、道子が悲鳴を上げ、鏡を放り出して恐怖に慄いた。
「どうしたの?」
 周りの生徒達が振り向いて声を掛けた。
「鏡が笑ったのよ」
「鏡が笑うわけないじゃん」
「違うよ。鏡の中の自分が勝手に笑ったのよ」
「それは、あなたが笑っていたからでしょう?」
「笑っていない!」
 生徒達が言い争うようにしているのを聞き流して、投げ出された手鏡に歩み寄る蘭子。それを拾い上げようとしたが、異様な気配を感じて、一旦躊躇してしまう。
「呪われているわ……」
 他の生徒達、特に道子に聞こえないように呟いている。
 妖魔か悪霊かはまだ判らないが、何ものかが取り憑いていて【呪いの鏡】となっているらしかった。
 笑っていないのに、鏡の中の自分が笑ったというのは、その取り憑いているものが見せた幻影であろう。
 封印してしまうに限るが、道子が鏡に触れて【人にあらざる者】と接して取り憑かれてしまった可能性がある。中のモノが出てしまって空になったものを封印しても意味がない。妖魔なり悪霊を退治してしまうか、それができないのならば、元の鏡の中に引き戻して封印し直すしかない。
「この鏡は、私が預かって調べてみるわ。もっとも学校の許可を得なければいけないけどね」
 蘭子の家系が、代々陰陽師であることは生徒達に知られている。蘭子自身も母の実家であり、祖母の土御門晴代が当主となっている摂津土御門家(陰陽師一門)の跡取りに指名されている。そんな事情から反対するものはいなかった。

 清掃が終わって、指導教諭に説明をすると、
「自分では決断できなから、校長先生に許可をもらってね」
 ということで、許可をもらいに校長室へと向かった。
 ドアをノックして、応答があるのを確認して中に入る。
「何か用かね?」
 蘭子の姿を見て、訝しげに尋ねる校長。
 呼びもしない生徒が校長室を訪れることはめったにない。文化祭などの行事に伴う予算折衝で生徒会役員が来る程度である。

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2017年6月15日 (木)

夢鏡の虚像 其の壱

 大阪府立阿倍野女子高等学校。
 折りしも月に一度の清掃日。毎日定例の自分達の教室清掃以外に行われる、言わば大掃除ともいうべきものである。体育館や講堂から、校庭の草むしり、通学路のゴミ&落ち葉拾いなど、全校生徒で一斉に行うのである。
 本校舎の西側に併設された講堂から物語りははじまる。
 講堂では、一年三組の生徒達が清掃の真っ最中だった。
 蘭子達仲良しグループは床の雑巾掛けを割り当てられていた。
「恵子のパンツ、丸見えだよん」
「もう……。こんな短いスカートだよ。しかたがないよ」
「何で今時、雑巾掛けなのよ」
「そうそう、せめてモップにしてよね」
「他の学校じゃ、業者と契約して教室からトイレ掃除まで、全部やってくれている所もあるよ」
「それって私立でしょ。大阪府の予算に縛られている公立じゃ無理な話よね」
 その時、監督指導教諭が、手をパンパンと叩いて注意した。
「はい、そこ! 無駄口してないで、しっかりやりなさい。あと一往復で終わりですよ」
「はーい!」
 生徒達全員が一斉に答える。
 返事だけは良かった。
「どうせ、ここを終えても他の場所を手伝わされるんだから……」
 最後の気力を振り絞って、残り一往復を終えた。
「はい、ご苦労様でした。後は、終わっていないところを手伝ってあげなさい」
 やっぱりね……。
 という表情で、各自講堂内に散らばっていく。
 蘭子は、舞台の袖にある部屋の扉から中へと入ってゆく。
 口をタオルで覆った生徒が三人、はたきを掛けていた。もうもうと埃が舞い上がるので、すべての扉や窓は全開で、扇風機を回して埃を吹き飛ばしている。
「手伝いにきたわよ」
「サンキュー!」
「何しようか?」
「とにかくハタキ掛けよ。そこにあるから」
 壇上に上がる階段に置いてあったハタキとタオルを取って掃除をはじめる蘭子。
「それにしても、こんなに埃がたまっちゃってさ。長期間使わないのなら倉庫の方にしまえばいいのに」
「そうだよね。そうすれば、ここも広く使えていいのに……」
 それからしばらくは黙々とハタキ掛けを続ける一同だった。
 生徒の一人が、カバーで覆われたものを、物陰になる位置で発見した。
「何かしら、これ……?」
 彼女の名前は近藤道子。
 隠されたものを見つけると追求したくなるのが人間の性である。道子はカバーを取って中身を確認した。
 それは鏡だった。
 鏡台に収められ、材質は錫のようで片面がきれいに磨き上げられ、その裏面には見事な彫刻が施されていた。
「手鏡よね。これ」
 金属製の鏡など見たことがないのだろう。手にとって物珍しそうに眺めている。

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2017年6月14日 (水)

夢幻の心臓 其の拾

「終わりましたか?」
 刑事課長が言葉を掛ける。
「はい。これで変死事件も起きません」
 若い刑事が部屋に入って、二人の遺体を調べ始めた。
「これはどういうことですか? 灰になってしまうなんて」
「お母さんは、お嬢さんを生かし続けるために、自分の生命エネルギーを注ぎ込んでいたのです。身も心もすり潰して」
「そんなことができるのでしょうか? いや……現実に目の前で起こったのですから信じるしかないのでしょうねえ」
 刑事課長が感慨深げにため息をつく。
「娘と妻は、成仏したのでしょうか?」
 主人が尋ねた。
「はい。二人の魂が仲良く手を取り合って、天に昇っていくのが見えました」
「魂が見えるのですか?」
「場合によります。自分が関わった人とか、怨念やこの世に未練を残した人に限りますけど」

 屋敷から出てくる蘭子と刑事二人。
 大きな欠伸をして、背伸びをする蘭子。
「どうしました?」
「いえね。昨晩、ある所に遅くまで監禁状態にされていたので、睡眠不足気味で」
 わざとらしく聞こえるように蘭子が言うと、
「いや、大変失礼なことをした。すまないと思っている」
 頭を深々と下げて、反省している様子を見せる刑事課長。
「あなたは霊能力者のようだ。それでお願いというか協力して頂きたいのですが……」
「協力?」
「いえね。ここ最近、うちの管内で人の手では不可能と言われるような事件が多発しているのです。ついこの間も四天王寺で全身の血を抜き取られるという事件が起きていたのです」
 その事件は、蘭子が隠密裏に解決したものだった。
「結局、まったく不可解で手掛かりなしで、迷宮入りになりそうです。あなたには、そう言った「人にあらざる者」に関わる事件捜査に協力してほしいのです」
「なるほど……。そういうことなら、自分にできうる限りの協力に尽力しましょう」
「ありがたい。また改めてご自宅にお伺いしてご相談しましょう」
「では、今日のところはこれで失礼させていただきます」
 刑事と別れて帰宅の途につく蘭子。
 また一つの事件を解決して、充実した気概に満ちていた。

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2017年6月13日 (火)

夢幻の心臓 其の玖

「不気味ですね」
 再び若い刑事。
 蘭子が身構えながら敷居を越えて部屋の中へと入っていく。
 一瞬、部屋の空気がどよめいたように感じた。
「皆さんは、そこから動かないでください。何が起きるか判りませんから」
「しかし……」
 若い刑事が後に続こうとするが、
「動くんじゃない!」
 と刑事課長に制されて足を止めた。
 この部屋の中に充満する得体の知れないものを感じているのかもしれない。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」
 と、九字の呪法を唱えながら、部屋の中ほどへと進み行く蘭子。
 母娘のそばに立ち、やおら布団を巻き上げると、異様な光景が眼前に現れた。
 少女の身体を取り囲むようにして置かれている干物のようなもの。まさしく心臓だった。
 優しげな表情をしていた母親の顔つきが突然変わった。まるで鬼のような形相となって、蘭子に襲い掛かってくる。蘭子は軽々と身をかわしていたが、やおら片膝を着くと、両掌を胸元で構え、少し指を内側に曲げるようにして、セーマンの呪文を唱え始めた。
「バン・ウーン・タラーク・キリーク・アク」
 すると両手の間に輝く五芒星(清明桔梗紋)が現れた。
 この五芒星を示した図柄は、古代エジプト墳墓に多く描かれ、かの有名なカルナック神殿やルクソール神殿の天井にも描かれている。これは人間が手足を広げた形で、人は死ぬと空に行って星になるという言い伝えからきていると言われている。果たしてこのエジプトの言い伝えと、陰陽道の考えにどういうつながりがあるかは判らないが、死者を送ることと悪霊を祓うことと共通性が見られる。
「はっ!」
 蘭子が気合を込めて、両手を前に突き出すと、五芒星が宙を飛んで母親の眉間に、その陰影を刻んだ。
 突然、動きを封じられたかのように、身動きしなくなった母親。
 すっくと立ち上がり母親の顔に向かって指を突き出す蘭子。両側のこめかみにある「太陽」と、眉間にある「神庭」と呼ばれるツボ(経穴)を突く、三点心打突である。
 そしてやさしく諭すように語り掛ける。
「思い出すが良い。娘さんとの楽しい日々のこと。悲しいこともあっただろう。娘さんはそんな思い出と共に天に召されようとしている。人には運命というものがる。短い命もあれば長寿を全うする場合もある。娘さんは母であるあなたに見守られて幸せに生きた。例え果かない命であったとしても、あなたの愛情に包まれて逝ったのだ。娘さんは十分幸せに生きた。あなたは、その娘さんを地上に束縛して苦しめているだけなのだ。違うか? もう一度思い出すのだ。娘さんとの幸せな日々を」
 切々と訴えかける蘭子。
 母親の両目から涙が溢れてくる。
「さあ、逝くがよい。娘さんと一緒に、仲良く」
 二人の身体から白い靄のようなものが浮き出してきた。それは人の形となり母親と娘の姿となった。母親が頭を下げて礼をしているかのように見える。二人は仲良く手を取り合って天に召されていった。
 そして母親の身体が、ボロボロと崩れはじめ、やがて灰となってしまった。
 つと振り返って、主人や刑事の所へと戻る蘭子。

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2017年6月12日 (月)

夢幻の心臓 其の捌

 意を決して門をくぐる蘭子と警察官の二人。
「ごめんください!」
 蘭子のよく通る声が奥まで届き、主人らしき人物が玄関先に現れた。
 目はどこか虚ろで疲れきったような足取りだった。
「何かご用ですか?」
「お亡くなりになられたお嬢さんのご焼香に伺いました。それと奥様にご挨拶を」
 途端に主人の顔色が変わった。
「どういうご関係かは知らぬが、会わせるわけにはいかぬ」
 すごい形相だった。
 しかしここで引き下がるわけにはいかない。
「ご近所の皆さまから伺った話ですが、お嬢様はお亡くなりになられたというのに、奥様は死んでいないと言い張って、看病を続けているというじゃありませんか」
「そ、それがどうした」
「おかしいとは思いませんか? お嬢様がお亡くなりになって十五日ほど経ちますが、普通なら腐敗がはじまって異臭が屋敷中に漂っているはずです。純日本家屋ですから、異臭が部屋の外に出ないはずがありません。もしかしたら亡くなった時の状態を保ってらっしゃるのではありませんか? 違いますか?」
 主人は言葉に詰まって返答できないでいる。
 図星だなと判断した蘭子は、追い討ちを掛けるように言葉を続ける。
「もう一つ、お伺いしますが、奥様はどうなされていますか? ちゃんと食事を摂られていますか? 十五日も食事をしなければ死んでしまいますよね」
 矢継ぎばやに繰り出される質問に、主人は答を見出せない様子だった。
 しばらくうなだれていたが、意を決したように口を開いた。
「わかりました……。とにかく会っていただきましょう」
 玄関を上がって長い廊下を歩いていく。エアコンは見当たらないが、開け放たれた障子など、換気は十分で吹き抜ける風は冷たい。
 家中がひんやりと冷え切っているような感じだ。
 主人、蘭子、刑事二人の順で廊下を歩く。
 やがて閉めきった部屋の前にたどり着く。
 さすがに死人のいる部屋を開けておくことはできないようだ。
「こちらです」
 主人が立ち止まって障子を開く。
 信じられないような情景が目に飛び込んでくる。
 布団に横たわる少女。
 まるで生きているような表情をしていた。
 しかし少女は死んでいるはず。
 そして枕元に正座して、少女をやさしく見つめるようにしている母親。
 しかし、それは現実ではありえないはずのものだった。
 まるで時が凍えていうような情景であった。
「本当にお嬢様は亡くなられているのですか?」
 若い刑事が念のために質問した。
「はい。もう十五日になります。心臓病でした」
「変死事件が始まったのもその頃ですね」
 若い刑事が口をはさんだ。
「ここでそんな話をするもんじゃない!」
 ぶしつけな質問をするのを、刑事課長がたしなめた。
「いえ、確かにそうなのかも知れません。心臓移植を希望していたものの、ドナーが現れずに死んだ娘。それから始まった「娘は生きている」と主張する母親の狂気ですが、そこに悪魔かなんかが取り付いてしまったのではないかと。この部屋の光景が物語っていると思います。娘は他人の心臓を与えられて、腐ることなく生き続けているのです。いや、生かされているのだと。そしてまさしく、心臓を届けているのが妻なのです」
 部屋の前で数人が集まって話し合っているというのに、部屋の中の住人はまるで聞こえないかのように静かなものだ。

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2017年6月11日 (日)

夢幻の心臓 其の質

「尾行の下手な人だ。ちょっとからかってみますか」
 呟くと、さっと素早く路地裏に身を隠した。
 すると撒かれてなるものかとばかりに、大急ぎで駆け出してくる。そして路地裏に駆け込むと、
「いてて、痛い!」
 待ち構えていた蘭子に、羽交い絞めを掛けられて、うめき声を上げた。
 腕を振りほどこうとするが、完全に決まっていて抜け出せるものではない。
「どうして私を尾行するのですか? どうやら警察官のようですけど」
「そうだ。常時目を離さず監視するように、上から命令されている」
「命令したのは、刑事課長でしょう」
「それは言えない。それより早く腕を解きたまえ。でないと公務執行妨害になるぞ」
「あら、構いませんわよ。その変わり私も強硬手段に訴えるだけです」
「強硬手段?」
「大声で悲鳴を上げればいいだけです。下校時間だから、大勢の女子高生の野次馬が集まってきますわよ」
「馬鹿な。私は警察官だぞ。上の命令で君を監視していた警察官だぞ。女子高生の証言など誰が信じるか」
「そうでしょうか? 最近の警察官の腐敗は良く知られているじゃありませんか。飲酒運転で交通事故を起こしたり、出会い系サイトで知り合った少女を集めて売春させたり、電車内痴漢やストーカー行為など不祥事が絶えませんよね。それにあなたは学校の校門前で、大勢の人々に不振がられていた。そんなあなたが、ストーカー行為を働いたって不思議とは思われないでしょ」
「冗談じゃない!」
 大声で否定する刑事。
 自分は純朴なる公務員だと言いたそうな表情である。
 そんな輩に限って不貞を働いたりするものだが。
「いいでしょう。いつまでも付きまとわれるのは侵害ですので、連続変死事件の真犯人に会わせてあげましょう」
「知っているのか? 真犯人を」
「知っていますよ。あの夜、血の滴る心臓を手にした女性を見かけたのです。しかし後を追おうとしたところに、あなた方警察官に取り押さえられてしまったのです」
「それは済まない事をした。しかしこういうことは、警察に任せて欲しいものだ。民間人に踏み込んでもらっては困るし、身の危険にもなる」
「皮膚に傷一つ付けずに心臓を抜き取られるという不能犯に、手をこまねいているのは警察の方ではありませんか」
「では、君なら解決できるというのかね」
「できますよ。なぜなら犯人は人間ではないからです」
 事実をありのままに証言する蘭子。
「人間じゃないとはどういうことだ」
「まあ、とにかく。犯人に会いに行きましょう。すべて判りますよ」
 ここで議論してもしようがないし、納得させることはまず不可能であろう。
 実際に事実を突きつけてやった方が、解決は早い。
「いいだろう。会いに行こうじゃないか」
 というわけで、早速あの土塀の続く屋敷へと向かったのである。
 途中、警察官一人の手に余るということで、上司の井上刑事課長も同行することになった。

 土塀のある屋敷に着いた。
 あたりはひっそりと静まり返り、不気味なくらいであった。
 予定では蘭子一人で乗り込むはずだった。
 蘭子の着ている制服を見れば、同じ高校だと判るはずだから、クラブ活動なり生徒会の意向で見舞いに来たと言えば、通してくれるだろう。
 だが同行の警察官が問題だった。教諭と偽るには眼光が鋭すぎる。
「まあ、何とかなるでしょう」

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2017年6月10日 (土)

夢幻の心臓 其の陸

「被疑者を取り押さえたと聞くが」
 と取調室に入ってきたのは、警視の階級章を付け、右胸には金バッチの警察官だった。おそらく警察署長と思われる。
「なんだ。女の子じゃないか」
 蘭子と刑事課長との表情を見比べて、しばし考えてから言った。
「その女の子を帰してさし上げなさい」
「どうしてですか? 今夜も被害者が出て、すぐそばを歩いていたんです。被疑者もしくは重要参考人として」
「馬鹿もん! だからと言って年端もいかない子女を、こんな夜遅くに取調室に監禁などもってのほかだ。現行犯逮捕でもない限り、許されるものではない」
「しかし、署長……」
「言い訳無用だ。今すぐ車で送ってあげなさい。パトカーはだめだぞ。覆面で送ってやれ」
 まだ何か言いたそうな刑事課長だったが、渋々従うよりなかった」
 覆面パトカーで自宅まで送られた蘭子だったが、自室に戻りふと窓の外を覗くと、覆面パトカーがまだ止まっていて、中から刑事がこちらを窺っていた。どうやら張り込みされているらしい。

 翌日、学校へ通学する蘭子。
 そのはるか後方を、何者かが尾行を続けている。もちろん蘭子が気づかないはずがないが、素知らぬ顔をしている。
「おはよう、蘭子」
「おはよう」
 クラスメート達が朝の挨拶を交わす。
 教室に入り外を見ると、校門で立ち尽くす尾行者がいる。
 ここは治外法権みたいなもので、さすがに尾行者も校門から中へは入ってはこれない。
「今朝のニュース見た?」
「見た見た。例の連続変死事件でしょ」
「昨晩のことよね。怖くて夜道を歩けないわ」
「早く犯人が捕まって欲しいわね」
 女子高校生たちの話題はもっぱら変死事件のことばかり。挨拶代わりに交わされるほどに、日常的となっていた。学校側も無関心でいられるわけもなく、女子生徒のクラブ活動は日のある間だけで、日が沈む前に帰宅しなければならない。教諭達による校内巡回も当番製で実施され、女子生徒が残っていれば、速やかなる帰宅を促していた。
 授業中の間、尾行者は校門前で張り込みを続けているが、不審者扱いされ学校関係者や通報を受けてやってきた警察官から、しばしば訊問を受けていた。その度ごとに平謝りしながら胸元から手帳を出して見せていた。
 放課後、授業を終えた蘭子は、学校の方針に従って、所属する弓道部の練習を中止して、真っ直ぐ自宅へ帰ることにした。校門には尾行者の姿は見られなかったが、どうせどこかに隠れているのであろう。さすがに大勢の女子生徒が一斉に帰宅する時間帯は、校門前には張り付いていられないというところだろう。
 歩き出してしばらくすると、やはり尾行者が付いてくる。

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2017年6月 9日 (金)

夢幻の心臓 其の伍

 どんなに優れた生体接着剤をもってしても、一端切り開かれた皮膚には接合痕もしくは再生痕が必ず痕跡として残るものである。
 それに犯人が心臓を抜き取った後で傷口を治療する理由が理解できない。
 心臓が欲しければ抜き取るだけで良いはずである。何もわざわざ傷口を隠す必要もないだろうし、生体接着剤の入手ルートから足が付くこともあり得る。
「まあ、いいだろう……。ともあれ意見を述べることは非常に大切なことだ。発言しなければ何も進展しないからな」
 と、黙ったままの老刑事達を睨んだ。
 彼らは、上から命令されれば忠実にまめに働く。だがそれだけでしかなく、進歩的なことには動こうとしない。
 ノンキャリアである彼らに昇進の道は遠く、どんなに頑張っても警部補止まりであろう。警察大学校を卒業したキャリア組とは大違いである。国家公務員でもあるキャリア組は、初任でも警部補として任官し、現場に配属されれば自動的に警部となり、二三年も立てば警視に昇進するというのが、ほぼお決まりのコースとなっている。
 それが判っているからこそ、ノンキャリア組は率先して働くこともなく、上から命令されれば働くという、一種退廃てきな官僚ムードに支配されているのである。警察官という公僕としての責任を背負わされている割には報われない。非番時に電車で女子に痴漢行為を働いたり、スカートの中を盗撮したりして、ストレスを発散したくなるのも無理からぬことではないだろうか。
 会議は六時間という時間を無駄に消費しただけで、何の成果を上げることなく解散となった。
 外はすっかり暮れて夜となり、刑事達はさらなる聞き込みを命じられて、それぞれの分担区域へと散らばっていった。

 夜道を蘭子が警戒しながら歩いている。
「これまでの被害地域から考えると、この辺りが震源地だと思うのだけど……」
 きゃー!
 と、突如響き渡る悲鳴。
 急いで声のした方へと駆け出す蘭子。
 すると夜道を向こうから誰かがやってくる。
 街灯に照らされて、姿を見せた人物は喪服を着込んだ女性で、手に何かを持っていた。
 それは紛れもなく血の滴り落ちる心臓だった。
 喪服の女性は、蘭子には目もくれずに、古い屋敷の土塀の中へと消え入った。
 女性の消えた土塀を調べる蘭子。ごく普通の土塀で人が通り抜けられるはずはない。
 常識では考えられないことだった。
「やはり悪霊の仕業だったのね」
 次の行動に移ろうとした途端、懐中電灯で照らされ、
「こんな夜中に、何をしているか! 署まで来てもらおうか」
 警察官に取り押さえられた。
 早速、変死事件の捜査本部の置かれている阿倍野警察署へと、有無を言わさずに連行されることになった。
 取調室に監禁され、女性警察官立会いのもと、刑事課長の尋問が続けられている。
「こんな時間に出歩いていた目的は?」
 何度聞かされただろうか。
 答えないでいると、次々と質問を浴びせられて、またこの質問に戻ってくるという堂々巡り。仮に正直に答えたとして、思惑通りでないと、執拗に同じ質問を繰り返す。
 是が非でも自分がやりました、犯人ですと言わしめ、自白調書に署名させるのだ。いわゆる冤罪事件と言われる、人を人と思わずに人権無視が横行する、警察官の横暴であった。

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2017年6月 8日 (木)

夢幻の心臓 其の肆

 奈良の大仏に縄を掛けて引きずって盗もうとしたり、藁人形に釘を刺して呪い殺そうとしたりするのも不能犯である。仮に実際に大仏が盗まれたり、人が死んだりなど実現したとしても、それを科学的に証明できないために、不起訴となる可能性が高い。
「以前TVで見たのですが、ヨガの診療で患者を素手で手術していました。患者の身体に術者の手がめり込んでいって、血が流れ中から何かを取り出していました。でも、さっと身体を拭ったら、傷一つなかったのです」
「馬鹿もん! あれはトリックだ。二つの脱脂綿にフェノールフタレインとアンモニアをそれぞれ含ませておいて、もみ合わせれば化学反応が起きて、赤い血が流れたようになる。手をこう押し当てて指を少しずつ曲げていけば、赤い液体で皮膚表面が見えないから、めり込んでいくように見える。そしておもむろに脱脂綿の中に隠しておいた臓物らしきものを出して見せているんだよ」
「へえ……。そうだったんですか」
「少しは勉強しろ!」
「それでは科学的に」
 一人の刑事が手を挙げた。
「なんだ、言ってみろ」
 という刑事課長の目は、ろくな話でなかったら許さんぞ、というような気迫がこもっていた。身じろぎしながらも立ち上がって発言する刑事。
「生体接着剤というものが開発されているそうです。手術の後、切開した傷口をこれでくっつけてやると、ほとんど手術創を残さず治るそうです」
 一見もっともらしい発言だった。
 確かにそんな接着剤を使用すれば、みにくい傷跡を残さないということで、特に女性には歓迎されそうである。
「それじゃなにか……。今回の被害者は、心臓を抜き取られた後で接着剤で、傷口を接着されたというのだな」
「可能性としてですが……」
 刑事課長は目を閉じ、ため息混じりに先を促す。
「それで……?」
「それでって、以上ですが」
「それだけかね」
「はい。それだけです」
 刑事の述べたことは、情報としては確かなものかも知れないが、ここから洞察するげき事件の関わりが、まったく述べられていなかった。
「では聞くが、被害者は生きているのかな」
 刑事課長は矛盾する点を突いてきた。
「いえ、死んでいます」
 そう刑事が答えたとき。
「馬鹿もん!」
 大声で怒鳴り散らす刑事課長だった。
「生体接着剤のことなら私も知っている。一種の蛋白質の糊状のもので、これを使うと皮膚同士を貼り合わせることができるものだ」
 蛋白質が糊の役目を果たすのはよく知られている。パンを食べると、歯にくっついて取れにくく、虫歯や歯垢の原因となっている。
 これは小麦粉に含まれるグルテンという蛋白質が、非常に粘着性を持っていて、パンが膨れるのもこの性質があるからである。
 生体接着剤は一時的に皮膚同士をくっつける。やがて両側から組織が伸張してきて、時間経過と共に完全に癒合してしまうというものである。
「だがな、これは患者が生きていてこそのものだ。死んでしまった皮膚は決して再生しないし、くっつきもしない。どうだ、違うか?」
 刑事課長は、念を押すように尋ねる。
「そ、その通りです」

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2017年6月 7日 (水)

夢幻の心臓 其の参

 逢坂家のいつものような朝食風景。
 TVを見ながら一家団欒の最中であった。
 つと、ニュースに釘付けとなる家族。
『○○町××交差点にある交番にて、首を切断された警察官と、心臓のない女性の遺体が発見されました』
 心臓のない女性という言葉に注目する家族だった。
「聞いたか?」
「はい」
「昨夜は何も感じなかったのか?」
「いいえ。何も……」
「だとすると、妖魔の仕業ではなさそうだな」
「悪霊の類ではないかと思うのですが」
「うん。あるいはな」
 そもそも生霊や悪霊、あるいは人の魂というものは、元々同じものであって、区別できるものではなかった。殺人者と一般人とを、見た目で見極めることが不可能なのと同じである。
 ゆえに、昨夜の事件が悪霊の仕業であるならば、蘭子にさえ気づかせなかったのも道理である。それでも直接に対面すれば、悪霊かどうかくらいは判別できる。
「しかし、神出鬼没の妖魔と違って、悪霊は限られた地域にしか出没しないから、二度三度と繰り返されるうちに、おのずと特定できるだろう」
「それだけの犠牲者を出すことになりますけど……」
「仕方あるまい。これだけは、さしもの蘭子とてどうしようもあるまい」
「そうではありますが……」

 大阪府警阿倍野警察署。
 入り口には「阿倍野区変死事件捜査本部」という立て看板が立てられている。
 その捜査会議室の壇上から、府警本部から派遣されてきた井上馨刑事課長が怒鳴っている。
「最初の事件からもう十日だぞ! 犠牲者もすでに五人に上っていると言うのに、未だに何の手掛かりも見出していないとはどういうことだ!」
 周囲にある刑事達をギロリとにらめ付けながら、
「被害者の検視報告を言ってみろ」
 一人の刑事がすっと立ち上がって、報告書を読み上げる。
「はい。被害者はすべて女性。年齢としては十四歳から十七歳の間。被害者は心臓を抉り取られるようにして亡くなっています。しかも、身体の皮膚には全く傷一つ付けずにです」
 室内にざわめきが沸き起こる。
「それが判らんのだ。皮膚に傷一つ付けずに、どうやって心臓だけを抜き取ることができるというのだ」
 現在の常識、科学的に不可能な事件であった。
 仮に殺人犯を捕らえたとしても、起訴に持ち込むのは困難であろう。
 殺人にいたる動機と証拠・アリバイなどを突き止めても、殺人の方法が科学的に証明不可能だからである。
 いわゆる不能犯というやつである。

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2017年6月 6日 (火)

夢幻の心臓 其の弐

 夕闇に暮れた街角。
 誰かに追われているかのように、度々振り返りながら、道を急ぐ女性。
 その後方から、暗闇に隠れるようにひたひたと迫り寄る怪しい人影。
 女性の視界に灯火の点った交番が見えてくる。
 助かった!
 と思いつつ、交番に駆け込む女性。
「すみませーん! 誰かいませんか」
 大声を張り上げるが、交番内はひっそりとして人気がなかった。
 おそらく巡回に出ているのではないだろうか。
「どうかしましたか?」
 戸口の方から、男性の野太い声。
 振り返ると、制服を着た警察官が立っていた。
「じ、実は誰かに追われているんです」
「追われている? ストーカーですか、心当たりは?」
 言いながら外の方を見回す警察官。
「そんな人はいないはずです」
「そうですか……。ちょっとそこらを見回ってきますから、ここにいて下さい」
「ひ、一人にしないで下さい」
 女性はかなり怯えているようだった。
 すぐに戻りますからと、出てゆく警察官。
 一人になる女性。
 膝を揃え両手を添えるようにして椅子に腰掛けて、震えながら警察官の戻るのを待っている。
 突然、外の方で、
「な、なにをする!」
 大きな声が響いた。
 驚いて外に視線を移す女性。
 コロコロと何かが転がり込んできて、女性の足元で止まった。
 ふと見ると、それはあの警察官の頭だった。
「きゃー!」
 叫び声を上げる女性。
 続いてズルズルと、外の方から何か重いものを引きずるような音。
 やがて現れたのは、喪服を着た女だった。その手には、首のない遺体を襟元掴んでいる。
 なおも鮮血のしたたり落ちるその遺体を手放して女性に近づく喪服の女。
「あなたにお願いがあるの」
「ひっ!」
 足がすくんで身動きできない女性。
「あなたの心臓が欲しいの」
 一歩一歩近づいてくる女性。
「娘が生き返るのに必要なの。だから心臓を頂戴ね」
 だからと言って「はい、どうぞ」と渡せるものではない。
 女が目前に迫っていた。
 握手をするような仕草で、右手を差し出すと、それは女性の胸元でピタリと止まった。
「ごめんね……」
 そう言った途端だった。
 女の右手が、女性の胸元から、その身体の中にめり込んでいく。
 一瞬、女の右手が止まり、今度はゆっくりと引き抜かれていく。
 その右手には、血がしたたりドクドクと生々しく動く心臓が握られていたのである。
 白目を剥いて口から泡を吹く女性。
 やがてドサリと床に崩れ落ちる。
 無表情のまま心臓を手に、夜の闇の中へと消えてゆく女。

 交番に静けさが戻り、頭をもがれた警察官と、心臓のない女性の遺体が転がっていた。

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2017年6月 5日 (月)

夢幻の心臓 其の壱

 とある街角。
 どこからともなく線香の匂いが漂っている。
 喪服を着込んだ人々がひっきりなしに行きかっている。
 その列をたどって行くと、葬儀用の飾花の立てかけられた家に着く。
 玄関前には葬儀社の職員とおぼしき人達が、来客を手際よく案内している姿があった。
 家から出てきた来賓が職員に怪訝そうに尋ねている。
「ねえ、どうして棺に入れてあげないのですか?」
 と、困ったような表情を浮かべて、果たして答えていいものだろうかと悩んだ挙句に、重々しく質問に答える職員。
「いえねえ……。奥様がどうしても承知なさらないのですよ。旦那様と相談して、席を離れた隙に無理矢理棺に納めたのですが、それを見た奥様は髪振り乱して鬼のような形相になって、ご遺体を棺から引きずり出してしまわれたのです。『この娘は死んではいません。心臓さえ見つかれば生き返るんです。心臓さえ……』ってね」
「そういえば、お嬢さん。心臓が悪くて臓器移植しか方法がなくて、ドナーが現れるのをずっと待っていたらしいですわね」
「ええ……。結局、間に合いませんでした」
「可哀想なことしたわね。まだ中学生になったばかりだというのに……」
「はい、運命の女神は時としてひどい仕打ちをするものです」
「それはそうとねえ……」
「なんでしょうか?」
「あのまま遺体を放置しておいたら、腐ってしまうのでは?」
「ご家族が折りに触れて説得なされているようですが、どうしても首を縦に振らないそうです」
「困りましたねえ。まあ、母親としてはそういう気持ちも判らないではありませんが」
「とりあえずは、冷却剤の入ったベッドパッドの上に、ご遺体を安置して身体を冷やして、少しでも腐るのを遅らせようとしてはいるのですが……。それも限界がありまして」
「なるほど……」
 ひとしきりの会話を終え、深々とお辞儀をして分かれる二人。
「本当に困ったものだ……」

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2017年6月 4日 (日)

夢魔の標的 其の玖

「な、何が起こったの? 妖魔は?」
「もう大丈夫よ。妖魔は退治したわ」
「お兄ちゃんは?」
「ちゃんと生きているわ。でも……」
 言葉を詰まらせる蘭子は、視線を達也に向けた。
「これがお兄ちゃん? 女の子のままじゃない」
 兄の身体に目をやった智子が質問する。
「そうね。妖魔によって女の子に作り変えられた身体は元には戻らないみたい」
「そんなの……。これからどうして生きていけばいいのよ」
「とにかく智子は、ありのままを達也さんやご家族に話すしかないでしょう。そして家族全員で考えて結論を出すしかないわ」
「そ、そうね。そうするしか……」
 一応納得する智子。
 蘭子は懐から呪符を取り出すと、呪文を掛け息を吹きかけた。
 すると空に巨大な竜が現れた。
「式神よ。十二天将の中の一神」
「それって、玄武とか白虎・朱雀とかいうあれ?」
「その通り」
「強そうじゃない。最初から呼び出せば良かったんじゃない?」
「そうもいかないのよ。妖魔の中には式神を無効にしてしまう者もいるから。所詮呪文で呼び出しただけだから。でもこういう場合には役にも立つ」
 そういうと青龍の持つ玉から一条の光が差して、蘭子たちを包んだ。
 次の瞬間、三人は達也の部屋に転送されていた。
 床に横たわる達也を抱えて、ベッドに横たえ布団を掛けてやる蘭子。
「目が覚めたら、女の子になってると驚くだろうから、事情を説明してなだめてあげてね」
「わかったわ」
「それじゃ、今夜はもう帰るわ。学校でまた相談しましょう」
「うん」

 それから数ヶ月のことだった。
 蘭子達のクラスに転入生があった。
 担任教諭が、黒板に名前を書いて紹介をはじめた。
「今日からお友達になる鴨川恵子さんよ。智子さんとは双子の姉妹です。仲良くしてやってくださいね」
 驚く蘭子。
 智子の方を見ると、微笑んで片目をつぶってみせた。
 びっくりさせるために、このことを隠していたようである。
 達也だった恵子は、すっかり女の子らしくなって、女子校制服が良く似合っていた。
 今後、少なくとも三年近く付き合っていくしかないようである。

 夢魔の標的 了

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2017年6月 3日 (土)

夢魔の標的 其の捌

「結界か……。こしゃくな真似を。しかし、その中にいても私を倒せないぞ」
 蘭子は答えずに黙々と呪文を唱えていた。
 と、突然。
 御守懐剣の刀身で自分の人差し指に傷をつけた。
 そのしたたり落ちる鮮血を、刀身に吸わせるようにしながら、今度ははっきりとした言葉を発した。
「先祖より代々伝わりし虎徹よ。いにしえの契りにより、その本性を現わし、我に応えよ」
 するとどうだろう。
 懐剣が輝きだし、その形を変えて長剣へと変貌し、その刀身からすさまじいオーラを発し始めた。
 この妖しく輝く長剣こそが、【長曾禰虎徹】が鍛えし本来の姿で、その刀身には魔人が封じ込められていた。
 蘭子の先祖である安部清明の子孫が修行で江戸に赴いた時、世間を騒がす魔物と対峙することになった。修行者は江戸で買い求めていた虎徹を使って、その中に魔人を呪法で封じ込めることに成功した。その後、その修行者が亡くなり、虎徹は人から人へと渡っていった。しかも封じ込められた魔人の力によって、その虎徹は人斬り剣となって、数多くの民衆の血を吸い続けたという。
 虎徹の持つ鋭い切れ味と、刀身に刻まれた見事なまでの彫刻によって、有力武家が欲しがり所持している者を殺してまでも手に入れようとした。
 魔剣となってしまった虎徹。安部家の子孫であり神道をも極めた土御門家の修行者の一人が、虎徹を再び御守懐剣として人殺しをできない形状にして封じ込めに成功したという。
 力を封じ込められてしまった魔人は改心し許しを乞うた。そこで修行者は契りを結ぶことによって、一時的に懐剣から解放し、懐剣を持つ者と共に魔物と戦うことを約束させた。魔物と戦い続け、この世にさ迷う魔退治した時、降臨して封印をすべて解いてやることにしたのだ。
 これが蘭子の家に伝わる御守懐剣の秘密だった。
 虎徹を下段に構えて、結界から出てくる蘭子。身体中からオーラが発散していた。これは虎徹から解放された魔人と精神融合して、その能力を身に付けた証でもあった。だからといって、魔人に精神を乗っ取られたのではなく、完全に魔人をコントロールしていた。
「ほほう。退魔剣というわけか……。なら、これでどうだ」
 というと、智子の背後に飛び移って、人質にとった。
 蘭子は意に介しないという態度で、剣を大上段に構えなおした。
「この虎徹。人を斬る剣にあらず。魔を封じ滅ぼす退魔剣なり」
 言うなり、大上段から剣を振り下ろした。
 まばゆいばかりの光の渦が地を走るようにして妖魔に向かって襲いかかった。
 苦しみもがく妖魔。
 素早く駆け寄り、護符を貼り付ける蘭子。
 やがて妖魔から白い靄のようなものが浮かび上がり、弾けるように消え去った。
 崩れるように地に伏した達也の身体に変化が現れた。
 白い羽根や長い爪が消え去り、ごく普通の女の子の身体になった。
 女性の精気を大量に注ぎ込まれて女の子になってしまった身体は、元の男である達也には戻れないようだった。
 一方の智子は、茫然自失のまま身動きしなかった。
「智子、しっかりして」
 その身体を揺すぶって気づかせる蘭子。

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2017年6月 2日 (金)

夢魔の標的 其の質

 公園の影から智子が飛び出した。
「智子、後を付けてきたのか」
「目が覚めて制服がなくなっているので、もしかしたらと思ったからよ。教えて、蘭子の言ったことは本当なの?」
「本当さ、間違いない」
「そんなあ……」
 智子の全身が震えている。
 涙があふれて止まらないようだった。
「智子。お兄さんは、もう以前の達也君じゃない。妖魔に身体を乗っ取られ、精神を操られているのよ」
「嘘よ!」
 そんなこと信じられないと、激しい怒りを蘭子にぶつける智子だった。
「あはは、そいつの言っていることは本当さ。証拠を見せてやろう」
 高らかな笑い声を上げると、達也は制服を両手で引き裂いた。と同時に、その身体がまはゆく輝きだした。
「何が起こっているのよ?」
「メタモルフォーゼ……。再融合よ。妖魔が、お兄さんと一体化して、新しい身体へと変化しているの」
「止められないの?」
「止められないわ」
 達也の身体に変化がはじまった。
 胸が膨らみ始め、髪が長くなってゆく。ウエストはくびれ、腰が大きく張り出してくる。
 まさしく女体への変貌であった。
「女性を襲って、精気を奪っていたのは、このせいだったのね」
「そうよ。私は男である身体に嫌悪感を持っている。しかし憑依できる身体が見当たらなかった。だから取りあえずこの身体に憑依して、女の性エネルギーを吸い取って、変身することにした」
 やがて再融合が完成したようだ。
 元の達也からは想像もできないような完璧な女体。
 ため息がでそうなくらいに美しい身体であった。
「どう? 美しいでしょう」
 ひときわ長く伸びた爪を舌なめずりする妖魔。
「そのために何人の女性を犠牲にした。精気を半分以上吸い取られた彼女達は、異常なまでの速さで老いさらばえてゆくのだぞ」
「関係ないわね」
「これ以上の犠牲者を出さないためにも、おまえを退治する」
「あら、やるというの? いいわ、かかってらっしゃい」
 御守懐剣を、懐から取り出す蘭子。
 隙をうかがいながら、じりじりと間合いを狭めていく。
 ここぞという瞬間に、懐剣を突き刺すが、ひらりと飛び上がって身をかわす妖魔。
 その背には白い羽根が生えていた。
 空を飛ぶ能力を持っているようだった。
「あらあら、そんな攻撃しかできないの。なら、手っ取り早く片付けてあげるわ」
 空から急降下で、その鋭い爪を突き立てる妖魔。あまりにも素早い動きのために、呪法を唱える余裕がなく防戦一方となる蘭子。
 強襲攻撃を受けて地面に転がる蘭子。
 このままではやられると観念した蘭子は、呪符を五芒星に並べて禁呪符陣の結界を張った。
 呪符にはそれ自体に、呪法が掛けられているので、素早く結界陣を張ることができるのだ。
 妖魔が急降下攻撃を仕掛けてきたが、見事に結界が防いでくれた。

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2017年6月 1日 (木)

夢魔の標的 其の陸

 家の外から、バイクの高らかな排気音が響いてきた。
 はっ! と我に返る智子。
 兄が帰ってきたようである。
「お兄ちゃんが帰ってきた」
 洋服ダンスを閉め、智子を促して兄の部屋を出る蘭子。
「鍵を掛け忘れないでね」
「う、うん」
 マスターキーで元通りに鍵をかけてその場を立ち去る二人。
 途中で兄と鉢合わせをした。
 二人の視線が交錯する。
「こんにちは、お邪魔しています」
「ああ。ごゆっくりどうぞ。兄の達也です」
 眼光鋭く只者ではない雰囲気を持っていた。
 その間中、立ち止まり、蘭子に鋭い視線を投げかける兄だった。
 軽く挨拶を交わして智子の部屋に戻る二人。
 部屋に入るなり、泣き崩れる智子。
「どうしてこんな事になったの?」
「女装趣味……あるの?」
「あるわけないでしょ!」
 いきり立つ智子。
「きっと何ものかに取り付かれているのよ」
「そうね……。でもここで、この話をするのは止めましょう」
「どうして?」
「壁に耳あり、障子に目ありよ」
 蘭子に言われて気がつく智子。
 兄が何者か……つまり{人間にあらざる者}に取り付かれているとしたら、どんな防音壁であっても、聞かれてしまうだろう。
 取りあえず、明日学校のどこかで相談するということで、蘭子は智子の家を後にした。

 その夜の智子の家。
 智子の兄がうなされている。
 突然もがき苦しみはじめ、のた打ち回り、冷や汗を垂れ流している。
 やがてピタリと動きを止めたかと思うと、目を大きく見開いて両方の手を見つめた。
「ふふふ……。ついに手に入れたぞ。この身体は、もう私のものだ」
 押し殺すような声で笑うその身体からはオーラが発せられていた。
 部屋を出て、智子の部屋に入る達也。
 智子が目を覚まさないのは、魔力で眠らされているのかも知れない。
 壁際に掛けてあった、智子の女子校制服を手にとって、静かに出て行く達也。

 その頃、蘭子は目を覚まして、巫女装束に着替えているところだった。
 机の上に置かれた御守懐剣が怪しく光り輝いている。
「とうとう動き出したようね」
 着替え終わり、御守懐剣を懐に納めると、窓から庭先へふわりと舞い降り、夜の闇の中へと消え入った。

 夜更けの公園。
 女子校制服を着た人物がさ迷うように歩いている。
 暗がりでその表情は判らなかったが、街灯の下を通った時にその姿がくっきりと浮かび上がった。
 智子の兄の達也だった。
「その女子校制服、よく似合っているじゃない」
 背後から声が掛かり、振り返る達也。
 ジャングルジムの頂上に、ちょこんと座るように蘭子がいた。
「おまえは妹の友達の……」
「逢坂蘭子です。お見知りおきを」
「ふうん。陰陽退魔士か……」
「まあね。おまえが女装しているのは、狙いをつけた女性に警戒されないためね。見知らぬ男が後から付けていると知れば、皆逃げ出そうとするし、大声を上げられて人を呼ばれたりする。しかし女性だったら油断をするでしょう。襲った後で衣服を脱がすのは、いつも同じ服を着ていたら警察の不審尋問にかかるかも痴れないからだ」
「ブラボー! その通りだよ」
 相手して蘭子の推理をたたえる達也。
 正体を見破られ真相を突きつけられても余裕を見せていた。
「その話し、本当なの? お兄ちゃん」

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