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2017年6月13日 (火)

夢幻の心臓 其の玖

「不気味ですね」
 再び若い刑事。
 蘭子が身構えながら敷居を越えて部屋の中へと入っていく。
 一瞬、部屋の空気がどよめいたように感じた。
「皆さんは、そこから動かないでください。何が起きるか判りませんから」
「しかし……」
 若い刑事が後に続こうとするが、
「動くんじゃない!」
 と刑事課長に制されて足を止めた。
 この部屋の中に充満する得体の知れないものを感じているのかもしれない。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」
 と、九字の呪法を唱えながら、部屋の中ほどへと進み行く蘭子。
 母娘のそばに立ち、やおら布団を巻き上げると、異様な光景が眼前に現れた。
 少女の身体を取り囲むようにして置かれている干物のようなもの。まさしく心臓だった。
 優しげな表情をしていた母親の顔つきが突然変わった。まるで鬼のような形相となって、蘭子に襲い掛かってくる。蘭子は軽々と身をかわしていたが、やおら片膝を着くと、両掌を胸元で構え、少し指を内側に曲げるようにして、セーマンの呪文を唱え始めた。
「バン・ウーン・タラーク・キリーク・アク」
 すると両手の間に輝く五芒星(清明桔梗紋)が現れた。
 この五芒星を示した図柄は、古代エジプト墳墓に多く描かれ、かの有名なカルナック神殿やルクソール神殿の天井にも描かれている。これは人間が手足を広げた形で、人は死ぬと空に行って星になるという言い伝えからきていると言われている。果たしてこのエジプトの言い伝えと、陰陽道の考えにどういうつながりがあるかは判らないが、死者を送ることと悪霊を祓うことと共通性が見られる。
「はっ!」
 蘭子が気合を込めて、両手を前に突き出すと、五芒星が宙を飛んで母親の眉間に、その陰影を刻んだ。
 突然、動きを封じられたかのように、身動きしなくなった母親。
 すっくと立ち上がり母親の顔に向かって指を突き出す蘭子。両側のこめかみにある「太陽」と、眉間にある「神庭」と呼ばれるツボ(経穴)を突く、三点心打突である。
 そしてやさしく諭すように語り掛ける。
「思い出すが良い。娘さんとの楽しい日々のこと。悲しいこともあっただろう。娘さんはそんな思い出と共に天に召されようとしている。人には運命というものがる。短い命もあれば長寿を全うする場合もある。娘さんは母であるあなたに見守られて幸せに生きた。例え果かない命であったとしても、あなたの愛情に包まれて逝ったのだ。娘さんは十分幸せに生きた。あなたは、その娘さんを地上に束縛して苦しめているだけなのだ。違うか? もう一度思い出すのだ。娘さんとの幸せな日々を」
 切々と訴えかける蘭子。
 母親の両目から涙が溢れてくる。
「さあ、逝くがよい。娘さんと一緒に、仲良く」
 二人の身体から白い靄のようなものが浮き出してきた。それは人の形となり母親と娘の姿となった。母親が頭を下げて礼をしているかのように見える。二人は仲良く手を取り合って天に召されていった。
 そして母親の身体が、ボロボロと崩れはじめ、やがて灰となってしまった。
 つと振り返って、主人や刑事の所へと戻る蘭子。

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