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2017年7月

2017年7月31日 (月)

思いはるかな甲子園/梓、投げる

 思いはるかな甲子園

■ 梓、投げる ■  梓がきてからというもの、身をいれて練習に励むようになった部員達。  梓にいいところを見せようという不純な動機はみえみえだが、それはそれでよしと して、あえて問わないことにされた。  グランドの隅で、控え捕手の田中宏と投球練習している順平のそばに梓が歩み寄っ てきた。 「ねえ、順平君」 「何でしょう?」 「ボクにも投げさせてくれない?」 「え! 梓ちゃんが?」 「うん」  とにっこりと微笑んでみせる。 「しかしねえ……」  その時、山中主将が歩みよってくる。 「どうした?」 「梓ちゃんが投げてみたいっていうんですよ」 「梓ちゃんがか」 「一度投げてみたかったんだ、ボク。おねがい」  と、両手を胸の前で合わせて拝むようなポーズを取る梓。 「まいったなあ」  山中主将、頭をかいている。  いつのまにか、他の部員達も集まってきていた。 「キャプテン。いいじゃないですか、投げさせてみたら」 「うん。どうせならマウンドから打者を入れて投げさせて欲しいな」 「バッティングピッチャーやりたいの?」 「うん。お願い」  精一杯の笑顔を見せる梓。 「しょうがないなあ。でも三球だけだよ」  可愛い顔でお願いされては、山中主将もかたなしといった表情で許可せざるを得な かった。  バッターボックスに打者を立たせて、マウンドに登る梓。  山中主将が、打者の安西清に耳打ちする。 「いいか、相手は女の子なんだからな」 「わかってますよ。間違っても梓ちゃんのところには打ちませんよ」 「ああ、万が一でもかわいい顔にボールをあてて傷つけたら大変だからな」 「まかせてくださいよ」  といってバッターボックスに入る。  捕手の熊谷大五郎がおおげさなジェスチャーでミットを構えて見せる。  正捕手は山中主将であるが、バッティングピッチャー相手には熊谷が受け止める。 「梓ちゃん。ここだよ、ここね」  ミットを構えて右手でそのど真ん中を指し示す熊谷。 「はーい」 「おい、安西」  そして打者に声を掛ける。 「なんだよ」 「わざと空ぶりなんかするなよ」 「馬鹿、そんな梓ちゃんの機嫌をそこねるようなことするわけないだろ」 「それならいい」  梓、ゆっくりと投球モーションに入る。 「ん……?」  投球モーションを見て驚く山中主将。  右手投げ、アンダースローの体勢は、しっかりとしたフォームをしており、プレー トを踏んでいる右足を支点としての重心移動には、実に滑らかで寸分のよどみもなか った。  梓の手を離れて、ボールは円弧を描いて捕手のミットに吸い込まれた。 「馬鹿な!」  驚いたのは山中主将だけではない。捕手も打者もが魔法を見せられたように呆然と していた。 「おい、今の……」 「あ、ああ」  ボールの返球を催促する梓に返球する熊谷。 「じゃあ、後二球ね」  第二球目。 「やっぱり、カーブか?」  第三球目。 「三度も見逃す俺じゃねえ」  しかし、バットは宙を切り、ボールはミットに吸い込まれていく。 「スライダー!」 「馬鹿なこの俺が三振だなんて」  信じられないという表情でバッターボックスから離れる安西。  全員が狐につままれたような表情をしている。 「ねえ。梓ちゃん、もう少し投げてみてくれないかなあ」  我に返った山中主将が進言した。 「いいよ」  代わってバッターボックスに入る郷田。 「おい。今度は、ちゃんとミートして打ち返してみろ」  山中主将が声を掛ける。 「わかりました」 「ただし、梓ちゃんのところだけには飛ばすなよ」 「わかってますよ」  ゆっくりとしたモーションで投球する梓。  球はまっすぐど真ん中コースを進んでいく。  球速が遅いのを見越してじっくりためてからバットを振り降ろす郷田。  バットは真芯をとらえ、球は梓めがけて直撃する。 「しまったあ」 「いかん!」  打球は梓を直撃するコースで飛んでいく。 「梓ちゃん、よけて!」  全員が悲鳴のような声を出して叫ぶ。  内野手全員が、梓をかばうがために一斉にマウンドに駆け寄っていく。  梓は、迫り来る球に対して、目をカッと見開いたかと思うと、パシッとそれをグラ ブで受け止めて、軽やかなフォームでボールを一塁へ送球しようとする。がしかし、 一塁はがら空き、ファーストはすぐそばにいた。これでは投げようにもなげられない。 「しようがないなあ……」  日が暮れはじめている河川敷き野球部グランド。  帰り支度をはじめている梓。 「じゃあ、キャプテン。後よろしくね」 「ああ、ごくろうさま」 「なんだ、もう帰るのか」  武藤が尋ねた。 「うん。今日はお父さんとホテルで食事なんだ」 「ふうん。親娘水入らずってやつか」 「それに最近うるさいんだ。女の子があんまり遅くまで部活するのよく思ってないみ たい」 「そうか、一人娘だもんな」 「うん。じゃあね」 「またな」  グランドを立ち去る梓に視線を送っている部員達。 「女の子はいいですね。早引けできるから」 「あたりまえだ。風紀委員長の神谷さんに知れたら、また一悶着ものだぜ。生徒会規 則のえーと……何条だったかな」  頭を抱える木田に、順平が答えた。 「第二十二条の第四項、クラブ活動における女子生徒に関する条項ですよ」 「おお、それそれ。女子生徒は午後六時以降は顧問教諭の許可を受け、なおかつ午後 八時以降の活動を禁止する……てやつだ」

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2017年7月30日 (日)

思いはるかな甲子園/お邪魔虫なお客2

 思いはるかな甲子園

■ お邪魔虫2 ■  校庭の片隅にあるベンチに梓と絵利香、そして順平が座っている。 「なあんだ。そういうわけだったの」  順平からことの成り行きの説明を受ける梓と絵利香。 「その神谷さんていうのが、キャプテンの幼馴染みでね、表面的には喧嘩ばかりして いますが、内心だかは好き合っているというもっぱらの噂ですよ」 「へえ、そうなんだ」 「仲がいいほど、喧嘩もよくするってよく言うわよね」  絵利香が右指を頬に軽くあてて空を仰ぐように呟いた。 「でもさ。ボクが来る以前はそんなに汚かったんですか?」 「え、まあその通りです。」 「ふうん……ヌードポスターとかが壁に貼ってあったりとか?」  順平の顔色を伺いながら尋ねる絵利香。 「そ、そうです」 「ポスターくらいならいいんじゃないかなあ。普通の男の子なら当然のことじゃない の」  かつての野球部部室の実情を知っているし、男の子の気持ちを痛いほどに理解して いる梓ならではの言葉である。 「まあ、いろいろと部員で相談して決めたことです」 「そっかあ……」  ふと空を見上げ、片手で掻きあげた長い髪からほのかな香りが漂う。  部室でたむろしている部員達。 「しかし梓ちゃんがマネージャーになって、本当によかったなあ。俺達運がいいよ、 この間の風紀委員会の部室検査の時だってさ」 「ああそうだ。かわいい声でボクなんていうところが、ぞくっとして快感だよな」 「スタイルもまあまあだし、おめめぱっちりでかあいいしなあ。ちょっと胸が小さい けど……」 「馬鹿野郎! 本人の前でそれだけは絶体に言うなよ。怒ってやめられたらたいへん だ」 「女の子は胸の大きさじゃねえ」 「妹にしていつでも一緒にいたいよ」 「おめえの妹、ひでえもんな」 「ああ、ひでえ」 「あ、こいつ梓ちゃんの写真持ってやがる」 「何! 見せろ」 「いつのまに取りやがったんだ」 「おい、いつまでさぼっているんだ。練習時間はとっくに始まっているぞ」  いつのにか入ってきていた主将が一喝した。 「それがこいつ、梓ちゃんの生写真を隠し持っていたんだよ」 「馬鹿やろう。俺にも焼増してくれ」 「キャプテン!」 「冗談だよ。さあ、はじめるぞ」 「はい!」  数週間後のファミレス。  端末を持ってオーダーを受ける梓。  その表情は暗くて硬い。なぜなら……。  テーブルには常連客となった野球部員達がいるからだ。  今日の面子は、武藤・熊谷・安西、そして郷田である。家が金持ちで財布に余裕が ある武藤は必ず来ている。反対に一度も顔を見せないのが、家がすし屋のため手伝い で、配達・集金の出前持ちに駆けずり回っている山中主将。もちろん家業手伝いのた めに、彼にはバイク乗車許可証が学校側から発行されている。 「あ、俺は、ハンバーグステーキ。ライス大盛りね。あと、やまかけそば」 「俺は、ギョウザとオムライス。天ぷら味噌煮込みうどん」 「チャーシューラーメンに牛丼大盛り」 「カツカレーにちゃんぽん麺」  何度か通って、梓達のタイムスケジュールや担当テーブルを把握してしまった部員 達。あまり迷惑を掛けないようにとの配慮で、昼食時間帯を外してくれているとはい え、迷惑なことには違いない。がしかし、お客様はお客様。丁寧至極に応対する梓達。  しかし食べ盛りの男子野球部員。そのオーダーはライス物と麺類という組み合わせ で、ほとんど二人前である。さすがにこれには驚かされる梓だった。実は、梓が浩二 だった頃には、三人前をぺろりと平らげていたのだが、すっかり記憶から消えている。 (どうでもいいけど、懐具合は大丈夫なのかしら? コンビニでバイトしてる先輩も 多いけど)  ファミレスだから、お値段はわりとお手頃価格になっているとはいえ、数日に渡っ て来店していりゃ、財布も底をつく。それでバイトの日数を増やして、稼いでいたと したら本末転倒である。そんな暇があったら野球の練習でもしたほうが良い。  お邪魔虫ではあるが、彼らもコンビニなどでバイトしている者もいるせいか、仕事 中の梓達に話し掛けてはいけないという節度はわきまえているし、 「ウェイトレスさん! スプーン落としたので取り替えてください」  というように、「梓ちゃん」などと馴れ馴れしく個人名で呼んだりもしない。  ただ素敵なユニフォームを着て、かいがいしく働く可愛い姿を見るだけで満足して いるようだ。

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2017年7月29日 (土)

思いはるかな甲子園/部室検査

 思いはるかな甲子園

■ 部室検査 ■  数日後。  部室に入ってくる山中主将。 「お! ずいぶん部室がきれいになっているな。ごみ一つ落ちていないじゃないか」 「そりゃ、梓ちゃんに汚い所を見られたくありませんからね。梓ちゃんにも部室に入 ってもらえるように、一所懸命きれいにしました」  郷田が答える。どうやら率先して部室の清掃を言い出した本人のようだ。 「ほう、どうりでヌード写真ポスターもかたずけられているわけか」  ポスターを剥がした後が壁に残っているのを見て言った。 「可愛い女の子を迎えるためには、清潔一番ですよ。清純なイメージの梓ちゃんには そぐわないとの全員一致の意見で、すべてのポスターからロッカーの中の雑誌に至る まで、すべて処分しました。もちろん机や椅子もぴかぴかに磨いて、梓ちゃんが腰掛 けても制服が汚れないようにしました」  女の子を口説く事にかけては野球部一の軟派男の郷田だ。身ぎれいにしていなくち ゃ女の子を誘う事はできないことを良く知っている。 「はん……そういうわけか。まあ、よしとしよう」  昼休み。一年A組の教室。  並んで弁当を広げている梓と絵利香。  そして何故か、山中主将が尋ねてきている。 「……というわけで、順平と一緒に練習試合の相手校を探して欲しいんだ」  山中主将は、何かにつけて直々に梓に頼み込んでいた。順平に話しをするのはいつ も梓の後である。 「いいですよ」 「ありがたい」  そこへ血相変えた野球部員の木田が飛び込んでくる。 「キャプテン! やっぱり、ここにいたんですか」 「何だ、あわてて」 「風紀委員会による、一斉抜き打ち部室検査ですよ」 「抜き打ち部室検査だとお」 「はい、今野球部の部室をチェックしています。それでキャプテンに部室まで来てい ただきたいと」 「ったくう……正子の野郎、風紀委員長になったのをいいことに、権限を笠に着やが って……しかも校長に取りいって生徒会規則の第23条・第3項とかに部室使用許可 の取消しに関する条項を加えやがった」 「それって、クラブ部室に風紀違反となるようなものを持ち込んだり、不正使用した りした場合には、風紀委員長の意見具申をもとに、校長がその使用を禁ずることがで きる。ってやつでしょう」  木田が確認する。 「その通りだ。この間それで柔道部が二週間の使用不許可の決定を下されたよ」 「なんですか? その部室検査って」  梓が尋ねると、 「いや、梓ちゃんが心配する事はないよ。ゆっくり、ごはんを食べていてくれ」  といって、足早に教室を出ていった。  野球部部室前。  腕に腕章を付けた数人の風紀委員が扉の前にたむろしている。  山中主将が駆けつける。 「山中君。遅いわよ」  風紀委員長の神谷正子が口を開いた。 「また、あくどいことをしているな」 「あら、あくどいだなんて変な言いがかりはよしてよね。私達は学校の風紀を守るた めに日夜努力しているのだから。感謝されることはあっても、悪態をつかれる筋合い はないわ」 「何が感謝されるだ。だれもおまえになんか感謝しているものなんか一人もいないぞ」 「あらそうかしら。女子生徒の間では、これでも尊敬されているほうなんだけど」  風紀を乱すのは圧倒的に男子が多い。それを取り締まるのだから、女子から頼りに されるのは当然と言えた。 「はん、勝手にほざいてろ。いつか天罰がくだるぞ」  部室の中から数人の風紀委員が出てくる。 「委員長。さしあたって風紀を乱すようなものは、何一つ見つかりませんでした」 「なんですって! 何一つ?」 「はい。ポルノ雑誌の類からタバコ類にいたるまで、一切です」 「そんなばかな! ちゃんと見たの」 「隅から隅まで確認しましたが、何一つ発見できません」 「どういうことよ」 「わかりません」  木田が山中主将に耳打ちしている。 「先日、大掃除したかいがありましたね」 「ああ……大正解だ。たまには郷田も良い事をするな」  神谷、爪を噛むしぐさで悔しがっている。 「いいわ。次のクラブにいくわ」 「おい、たったそれだけかい。他人の部室を掻き回しておいて、他にもっと気のきい たセリフはないのかよ。しかもこの昼飯どきにわざわざ」 「お騒がせ致しました! 引続き部室をお使いください。今後ともこのようにお願い します」 「当り前だ。俺達はいつも潔白だ。なあ」  山中主将が同意を求めると、 「はい、そうです」  木田が、きっぱりと答えた。 「失礼します」  きびすを返すように去っていく神谷とその配下の風紀委員達。  それとすれ違いざまにやってくる梓と絵利香。 「キャプテン、何かあったのですか? あの人達が、風紀委員ですか?」  心配するなと言われたが、やっぱり気になって部室を訪れたのである。 「ああ、なんでもない。それもこれも、君のお蔭だよ」 「え? ボクが何かしましたか」 「いやいや、君がいるだけで充分なんだよ。我々の救いの女神さまだ」 「なんかわかりませんけど……」 「いいんだ、深く考えなくても」  きょとんとしている梓。

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2017年7月28日 (金)

思いはるかな甲子園/お邪魔虫なお客

 思いはるかな甲子園

■ お邪魔虫なお客 ■ J.シュトラウス二世「喜歌劇・こうもり」序曲  軽やかな曲の流れる店内。  かいがいしく客の接待を続ける梓と絵利香。  今日はファミレスのバイトの日である。  ファミレスの表で、窓から中を覗いている栄進の野球部の面々がいる。  武藤、城之内、木田、郷田の四人である。 「おい、本当にここで梓ちゃんと絵利香ちゃんが、アルバイトしているのか?」  武藤が郷田に確認している。 「間違いないですよ」  女子生徒に関しては、独自の情報網すら持っているという郷田ならではのこと、梓 達のことはすでにお見通しである。  特に可愛いユニフォームで有名なこの店は、軟派野郎の重要チェックポイントなの で、ウェイトレスが新しく入ったなどというニュースは、逸早く情報網を通じて多く の男共の知れ渡るところとなる。 「いらっしゃいませ!」  武藤達が入ってくるなり、一斉にウェイトレスが挨拶する。 「今、梓ちゃんと絵利香ちゃんの声が聞こえたが……」  きょろきょろと店内を物色するように入ってくる武藤達。 「いたあ!」  三園先輩がそばで見守るなか、一所懸命にキャッシャーを務めている梓。  キャッシャーの操作に夢中で、武藤たちのことには気づいていない。武藤たちが耳 にした声も、他のウェイトレスが掛けた挨拶に同調して出したものである。  釣り銭を間違えないように慎重に、声ははっきりと明瞭にだして、かつ笑顔は絶や さずに、応対は素早くしてお客さまを待たせない。 「梓ちゃんは、レジ係りか」  正確にはレジ(レジスター)ではない。携帯端末によるオーダー時点で、すでに注 文商品から清算金額まで、ホストコンピュータ側で処理されているので、端末から打 ち出されたオーダー伝票のバーコードを、読み取り機にかざすだけで清算金額及び参 考釣り銭がディスプレイに表示される。システムダウンした時のために一応レジスタ ー機能は持っているが、通常は釣り銭ボックスの開閉釦ぐらいしか使用しない。だか らレジとは言わずにキャッシャーと呼び慣わされている。 「絵利香ちゃんもいますよ。ほらあそこ」  フロアの片隅で、大川先輩のレクチャーを受けながら、オーダー用の携帯端末の操 作の確認をしている絵利香。この端末、液晶タッチパネル方式で、一台が二十万円す るというから、落としては大変とついつい慎重にならざるを得ない。  もっともこの店では、顧客自らがスマートフォンを利用して直接注文が出せるよう になっている。  メニューに印字されているQRコードをバーコードリーダーで読み取ると、店舗の 注文システムに直接アクセスできる。 QRコードは1994年にデンソーが開発し商標登録している。 当初は自動車部品工場や配送センターなどでの使用を念頭に開発されたが、 現在ではスマートフォンの普及などにより日本に限らず世界的に普及している。 農畜産物では生産者情報にアクセスでき、品質保証を謳うスーパーが増えている。
 注文メニューには、 【注文する】【注文履歴を見る】【店員を呼ぶ】  などが並んでおり、クリック一つで注文や何を注文したかを確認できる。 「絵利香ちゃん、こっちに来ないかなあ」 「どうですかね。テーブルごとに担当が分かれていると思いますから」 「へたに声を掛けない方がいいですよ。何せ仕事中ですからね。それに入店したばか りで、右も左も判らない状態で緊張の連続のはずです」 「そうそう。黙って遠くから見守ってあげなきゃ」 「それにしても、似合ってますね。二人のユニフォーム姿」 「ああ、ふりふりのミニドレスだけに、可愛い二人にはぴったりだよ」 「女の子って、制服のデザインの善し悪しで、アルバイトとか学校を選ぶ風潮がある といいいますけど、二人の好みに合ったのでしょうかね」 「少なくとも、俺達の目には合っているのは確かだ」  結局、絵利香は来なかった。  別のウェイトレスがオーダーを取りにきた。とはいっても、その彼女だって梓や絵 利香ほどではないが、結構可愛かったりする。  この店のウェイトレスの選考基準は、ユニフォームが似合う可愛い女の子というポ リシーがあるようだった。

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2017年7月27日 (木)

思いはるかな甲子園/野球部へ

 思いはるかな甲子園

■ 野球部へ ■  野球部部室。  練習開始前のミーティングで、部屋の中に集まっている部員達。 「今日も来るかな、あの子達」 「来るんじゃないかなあ」 「いっそマネージャーになってくれたらいいのにね」 「ああ、何にもしなくてもいいから、じっと見守ってくれるだけでもいいよ」 「おまえら、何いってんだ」  その時、部室のドアがノックされる。 「誰か、来たみたいですね」 「どうぞ、入ってください」  戸口そばに座っていた二年生の木田孝司が返事をする。  しかしドアを開けて入ってくる気配がない。 「ん、どうしたのかな。木田、おまえ見てこい」  木田に向かって命令する山中主将。 「はい」  木田がドアの所へ行って、扉を開け外を確認する。  そこには微笑んでいる梓が立っていた。 「き、君は!」 「こんにちは」  一斉に振り向く一同。 「今の声は!」 「梓ちゃんじゃないのか?」 「なに、梓ちゃん!」  木田を押し倒してドアに殺到する部員達。 「やっぱり、梓ちゃんだ」 「絵利香ちゃんはきてないの?」 「うん。今日はテニス部の練習」 「あ、そうかテニス部って言ってたっけ」 「で、梓ちゃんは、何しに来たの?」 「うん。キャプテンいますか?」  部屋の中をちらりとのぞく梓。 「ああ、キャプテンね。いますよ」  山中主将に視線が集中する。 「キャプテン、梓ちゃんが面会ですよ」 「梓ちゃんだとお。こっちに呼んでこい」 「なにいってんですかあ。かわいい女の子が、こんなむさ苦しい部室の中に、入って これるわけがないじゃないですか。キャプテン出てきてくださいよ」 「ったくう……」  山中主将、しぶしぶ外に出てくる。  梓を囲むようにしている部員達。 「おまえらなあ……ぼさっとしている暇があったらグラウンドへ行け!」  右手の拳を振り上げて怒鳴り散らす山中主将。  蜘の子を散らすようにグラウンドに駆け出す部員達。 「ほれほれ、早く行かんか」  とろとろ歩いている部員の尻を蹴飛ばして、グランドに押しやる武藤。 「ったく、しょうがない連中だ」  ぶつぶつ呟きながら、副主将の武藤の采配で一同が練習を始めるのを見届けてから、 梓に話しかける山中主将。 「で、キャプテンの山中だけど、僕に何か用かい?」  部員達に対しては怒声を上げる山中主将であるが、可愛い顔で微笑む梓を前にして は、さすがに口調もやさしくなる。 「はい」  鞄を開けて中から一通の書状を取り出して主将に渡す梓。 「これは?」  梓、にっこりと微笑んでいる。  しばらくして。  山中主将に連れられて梓がグランドに入ってくる。  武藤のノックを受けている部員達。  梓に気づいた部員の一人。 「おい見ろ、キャプテンだ。あの子を連れてくるぞ」 「もしかしたらさ」 「ああ、たぶんそうじゃないかな」 「みんな集まれ!」  山中主将が声を掛けると、電光石火の素早さで部員が集まってくる。 「紹介する……といってもおまえらのほうが良く知っているのかもしれんが。今度野 球部のマネージャーをやってくれることになった、新入生の梓ちゃんだ」 「やったー!」 「騒ぐな!」  静まる一同。 「それでだ。うちの野球部のこまごまとしたことを、覚えてもらわねばならんのだが ね……」  一同を見回す主将。 「それだったら、僕が教えましょうか」  郷田が一番に手を上げた。 「おまえはだめだ、女の子を見るとすぐ手を出す悪い癖があるからな」 「そんなあ……」 「順平!」 「はい!」  部員の後方から一年生の白鳥順平が出てくる。 「おまえが教えてやれ。同じ一年生同士のほうが連絡をとりやすいし、何かと都合が いいだろうからな」 「は、はい」  神妙な表情で答える順平。 「以上だ! 練習をはじめろ」 「ちょっとお、自己紹介とかはないんですか?」 「馬鹿野郎! そんな時間があったらノックの一球でも多く練習しやがれー」 「ひゃあ!」  再び蜘蛛の子を散らすようにグランドに駆け出す部員達。  くすりと笑う梓。 「とまあ、こういう野球部だけど、よろしくたのむ」 「はい。キャプテン」 「順平、梓ちゃんの入部届けだ。後で学校側に提出しておいてくれ」  山中主将、入部届けを手渡す。 「じゃあ、後をたのむぞ。やさしく教えてやれ」  と、言うなりグランドの方へと歩いて行く。 「わかりました」  二人きりになる梓と順平。  そばのベンチに腰を降ろして話しはじめる。 「一つ聞いていいですか?」 「なあに」 「どうして野球部のマネージャーなんかになったんですか」 「野球が好きだから。理由にならない?」 「そんなことないと思うけど」 「順平君は野球をどうしてやるの?」 「僕ですか?」 「やっぱり甲子園出場かな?」 「それもありますけど、僕が甲子園を目指すのはもう一つ理由があるんです」 「聞かせてくれるかなあ」 「僕には尊敬する先輩がいたんです」 「尊敬する先輩?」  空を仰ぐ順平。 「夏の選手権大会県予選準決勝で、優勝候補西条学園をノーヒットノーランで抑えた、 長居浩二投手を知ってますか?」 (俺のことじゃないか) 「知っているよ。でも決勝を目前にして死んじゃったんでしょ」 「そうです。僕は中学の時に、長居先輩から投手の手ほどきを受けたんです。ボール の握り方から、変化球の投げ方。セットポジションの構え方とかいろいろとね」 (そういえば、そうだったなあ) 「するとその長居さんという方の意志をついで甲子園を目指しているわけね」 「そうです。でも……ピッチャーとしての能力に自信を持てなくて……長居さんとは まるで才能が違うから」 「そんな弱気でどうするの。才能なんて元々備わっている人なんかほんの一握りしか いないんだから。ほとんどの人が血のにじむような練習を重ねてうまくなっていくん だよ」 「長居先輩と同じ事言うんですね」 「え? あ、いえ」 「まあ、それが道理だと判っているんです。でもね……」  それきり黙り込んでしまう順平。 (あーあ。しようがないなあ……。浩二だったら「馬鹿野郎! そんな弱気でどうす る」とか言って、怒鳴りちらしてやるんだけど)

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2017年7月26日 (水)

思いはるかな甲子園/バイトはじめ

 思いはるかな甲子園

■ バイトはじめ ■  梓宅のリビング。  ファミレスから戻って来て、母親と午後のティータイム中の梓。 「採用されて、良かったわね」 「でも不思議なのよね。ウェイトレスの方はもちろん、お店の方もみなさん、丁寧な 言葉遣いしていたの」 「サービス業なら当然ですよ。お客様との応対の仕方や言葉遣いはそう簡単には身に つくものではないから。まず上司が自らお手本を示してあげているのよ。普段から敬 語なんて使う事ないし、教えられる事もほとんどないですからね。梓ちゃんにだって、 まだ教えた事ないでしょ」 「そりゃそうだけど……」 「敬語には、尊敬語に謙譲語、そして丁寧語とあって、適時適切に使い分けるのは非 常に難しいのよ。だからお店の中にあっては、どんな関係でも敬語を使って、常日頃 から慣れ親しませるように心掛けているわけよ。例えそれが業務報告であってもね。 良い機会だから敬語の使い方を勉強してらっしゃい」  アルバイト当日になった。今日は日曜なので、アルバイトの半数が入れ代わりでや ってくるはずだ。  十時以前に出店して内外の清掃をする専門のバイトたちによってきれいにされたフ ロアに、ユニフォームを着て立ち並ぶ従業員。その中に新人の梓と絵利香がいる。  二人は、就業規則にある女子高生の勤務範囲である、開店の十時から午後五時まで のスケジュールになっている。これは帰宅の問題と、勉強を疎かにしてはいけないと いう意向があるからだ。  マネージャーが二人を紹介する。 「今日から新しく入りましたアルバイトの方を紹介します。こちらが、真条寺梓さん」 「真条寺梓です。よろしくお願いします」 「そちらが、篠崎絵利香さん」 「篠崎絵利香です。よろしくお願いします」 「二人とも友達同士です。みなさんとも仲良く楽しい職場になるよう指導してやって ください」 「わかりました!」  従業員達の明るい返事。  はっきりと明瞭な挨拶は、サービス業においては、いの一番に教えられる重要項目 である。暗い表情していたり、聞き取れないような小声を出していれば、即座に注意 される。 「真条寺さんには、二時までキャッシャー、以降の五時まではフロアを担当してもら います」 「わかりました」 「三園さん」 「はい」 「あなたは真条寺さんについてあげて、いろいろ教えてあげてください」 「わかりました」 「篠崎さんは、真条寺さんとは逆に、二時までがフロア、以降五時まではキャッシャ ーをお願いします」 「わかりました」 「篠崎さんのことは、大川さんについてもらいましょう」 「はい。かしこまりました」 「それでは、お客様への五ヶ条を斉唱致しましょう。明るくはっきりとした声を出し ましょう」  店内からは陰になって見えない天井の張り出しに掲げられた額に入った五ヶ条清訓 を、読み上げはじめるウェイトレス達。 「一つ……」  どこのサービス業でも、就業前には大概やっている業務の一つである。  お客との応対には、明瞭な声を出す事が求められる。それを就業前の斉唱によって、 自然に声が出るようにするわけである。

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2017年7月25日 (火)

思いはるかな甲子園/採用します

 思いはるかな甲子園

■ 採用します ■  ファミリーレストラン事務所。  梓と絵利香が提出した同意書を確認するマネージャー。 「はい、結構です。ウェイトレスとして、お二人を採用致します」 「ありがとうございます!」 「ただ注意しておきます。あなた方のようにお友達同士でアルバイトなさるケースが 結構ありますが、お仕事中におしゃべりをなさる方が多数いらっしゃいます。あるい は知り合いのお客様と話し込んでいるのも見受けられます。これは一般のお客様に大 変失礼なことですし、そばで聴いていると非常に耳障りなのです。くれぐれもお仕事 中の私語を謹んでください」 「はい。わかりました」 「私からの連絡事項は以上です。後は、こちらの三園さんから、その他の注意事項、 更衣室の場所や店舗の案内を受けてください。下がって結構です」 「ありがとうございました」  深々とお辞儀をして退室する二人。 「それではお二人ともついてきてください」  マネージャーから紹介された三園という女性の後に続く二人。 「まずは更衣室です。そこでユニフォームを試着していただきます」  案内されて更衣室に入る二人。 「ユニフォームです。試着してみてください。ぴったりでしたら、同じサイズをあと 二着ネーム入りで用意します。毎日着替えて、その日着たユニフォームは……」  と各従業員のネームプレートの貼られたプラスティックのケースの入った仕切り棚 を指して、 「このケースにたたんで入れて、棚に置いてくだされば、こちらでクリーニング致し ます。特に汚れた箇所やほつれができた場合はメモ書きを添えておいてください」 「わかりました」 「当店では、清潔なイメージを売り物としてますので。毎日着替えて頂くわけですが、 個人で毎日クリーニングするのは大変ですし、つい疎かにして連日で着用したりする 人もいらっしゃるでしょう。そんな事のないように、店でまとめてクリーニング業者 に出して差し上げているわけです。その方が安い代金で請け負ってもらえますしね」  早速、三園先輩から手ほどきを受けながら、ユニフォームの試着をする二人。 「サイズはどうですか?」 「はい。ぴったりです」 「わたしもぴったりです」 「そうですか。お二人とも、お似合いですよ」  部屋の壁の一面は大きな鏡となっており、二人の姿が映っている。  くるりと身体を回転して後ろ姿などを確認しながら、ユニフォーム姿の自分に悦に 入っている絵利香。 「これ、着たかったんだ」 「みなさん。そう、おっしゃいます。このユニフォームを着たいために、アルバイト はじめる子が多いんですよ」 「やっぱり、そうでしょうねえ」  うんうんと頷くように同調する絵利香。 「とある業界では、結構人気があって、オークションに数万円で出品されることがあ るそうです」 「それって、女子高生の中古制服を売ってたりするアダルトショップでしょ? ウェ イトレスの中に、そういう店にユニフォームを売ったりする不届き者がいたわけです ね」 「ええ。まあ、そうです。ユニフォームは貸与されたもので個人に差し上げたわけで はないのですけど、やめる時などにこっそり持ち出されてしまう方がいらっしゃいま す」 「ひどいですわね」  街中を歩いている梓と絵利香。 「ともかく、二人一緒に採用されて良かったね」  楽しそうな表情の絵利香が話し掛ける。 「もし絵利香ちゃんだけ採用されてたらどうしてた?」  歩道と車道を分けているコンクリートブロックの上を、バランスを取りながら歩い ている梓が質問する。 「うーん。採用します、でもやめます。というのは失礼だから、一人寂しく通う事に なってたかな」 「みなさん、やさしそうな方ばかりだから。一人でも大丈夫じゃないかな。楽しいバ イト生活になるよ、きっと」 「あらあ、梓ちゃんが楽しいと感じるならバイトは薔薇色かしら」 「そんな単純なものじゃないと思うけど、心の持ちようかな」 「何にしても、日曜からバイトよ。一緒に頑張りましょうね」 「そうだね」

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2017年7月24日 (月)

思いはるかな甲子園/アルバイト

 思いはるかな甲子園

■ アルバイト ■  野球グランドを後にして、誘われて絵利香の自宅に立ち寄った梓。  絵利香の自宅も、梓宅に負けず劣らず大きな屋敷だ。  何せ篠崎家は四百年以上も昔、戦国時代から綿々と続く豪族旧家だった。しきたり にうるさい祖母がいたりして、交際相手も地位や身分で選ばれていた。  一方の梓の家系も、皇族に繋がる旧公家華族だったらしい。はじめて知らされた時 は驚いたものだった。  ともかくも、両家の地位と資産はほぼ同じなので、遠慮することなく出入りできた のだが、絵利香の兄・健児の嫁にという話しが持ち上がっているらしい。 「え、アルバイト?」  突然のように絵利香が告白した。 「うん」 「なんでまた、アルバイトなんかするの。絵利香ちゃん、お小遣いには不自由してな いでしょ」 「社会勉強……っていいたいけれど。実はね……」 「何か欲しいものでもあるの?」 「ちょっとね……お父さんの誕生日祝いに何かプレゼントしようと思うんだけど、自 分で働いたお金で買おうと思っているの。夏だから手編みのセーターというわけにも いかないしね」 「それはいいとして、なんでボクに話しかけるわけ?」 「だからね……一緒にと思って。」  両手を合わせてお願いポーズの絵利香。 「やっぱし」 「わたし一人じゃ心細くって、梓ちゃんと一緒なら楽しい職場になると思うの」 「あのねえ……仕事に楽しいもないでしょうが」 「だめ?」 「お母さんがなんて言うかな……」 「それだったら、わたしからもお願いしてみるわ。だから、ね」  というわけで、梓の家の応接室。  梓の母親を前にして絵利香が説得を繰り返している様子。 「いいでしょう。動機が親孝行からですし、社会勉強ということで許可します。学校 規則にもアルバイト禁止とはなっていませんから」 「ありがとうございます」  書類を広げて読みはじめる母親。 『同意書  真条寺梓様の保護者の方へ。  弊社におきましてアルバイトを希望しております、あなた様のご子息様は十八歳未 満の未成年でありますので、保護者としての同意書を取り交わしたく存じます……。  つきましては別紙の就業規則抜粋を熟読のうえ、ご署名、ご捺印のほどよろしくお 願いいたします……』  というような内容の文章がつらつらと書かれている。 「同意書か……そんなもの書かなくてもいいと思うけど」  浩二だった時にも、アルバイトした経験があるが、同意書の提出を求められた覚え はない。男子と女子の違いなのかもしれない。 「梓ちゃんはまだ結婚もできない十五歳じゃない、書くのがあたりまえです。あなた がすることはすべて親が責任を取らなければならないんですよ」  続いて就業規則を読み上げている。 『始業時間は午前九時半より、身支度を整えて十時の開店に備える事。終業時間は午 後十時まで。但し女子高生は午後五時までとする。服装の注意。従業員は弊社貸与の 制服を着用すること。ただし制服のままの通勤退社は禁ずることとし、更衣室にて着 替えること。なお制服の社外持出禁止』  ブラックバイトが社会問題となる中、なかなか良識的な会社である。  もう一枚の会社案内書に印刷された制服を眺めて、 「ああ、これが制服なのね。清潔感のあるグリーンを基調にして、ミニのフレアース カートにベスト、そしてオレンジの色のパフスリーブのオープンジャケットね」 「絵利香ちゃんが、このユニフォームを気に入っちゃってさあ。アルバイトするなら、 ぜひこのお店って聞かないんだ」 「可愛いユニフォームだから、絵利香ちゃんの気持ちは判るわ。ストッキングは肌色 系を着用のこと。靴について。ズック靴やハイヒールは禁止、色は黒かアイボリー系 のローヒールのパンプス。女子高生の場合は、学校で着用している革靴でも可。パン プスねえ……この間、パーティー用のドレスと一緒に買った靴があるから、取りあえ ずはそれで大丈夫ね」 「あの靴は、だめだよ。あれはドレスに合わせたのよ。お父さんに買ってもらった靴 で仕事したくないよ」 「はいはい、わかりました。じゃあ、今度、買いに行きましょうね。化粧について。 厚化粧は避けることか……あ、女子高生のアルバイトは化粧を禁ずるって書いてある からこれはいいのか。まあ、梓は化粧なんかしなくても十分今のままでも可愛いから 大丈夫だけど。髪は肩までの長さがふさわしいが、長い髪の方はポニーテールなどに して後ろでまとめる事。これは梓ちゃんのこと言ってるわね。さすがに女性の命であ る髪を切りなさいとは言えないからこの規則があるのね」

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2017年7月23日 (日)

思いはるかな甲子園/栄進高校野球部

 思いはるかな甲子園

■ 栄進高校野球部 ■  さらに数日後。  再び、河川敷の野球部グラウンド。  土手に座っている梓達のまわりに、部員達が集まっている。 「ちきしょう。あいつら、また練習をさぼって女の子といちゃいちゃしやがって」  山中主将がいらいらしている。それに武藤が同調する。 「一度、活をいれてやらないと駄目ですねえ」 「よし、ちょっくら……」  と、梓を囲む部員達の所に歩みはじめるよりもはやく、部員達の方が先に行動を起 こしていた。 「おーし! みんな始めるぞ。グラウンド十周からだ」  郷田が声をかける。 「おー!」  一同一斉に走り出す。 「な、なんだ。いきなり……」  呆然とする山中主将。 「よーし、ノックはじめるぞ。全員配置に付け」  やがてグラウンド十周を終えた部員達は、それぞれの受け持つ守備についた。  郷田を中心として練習をはじめる部員達。 「おお!」  一斉にグラウンドに散る部員達。 「ショート!」 「おお!」  構えるショートは、山中主将の代わりに守備に入っている南条誠。  ノックを打つ郷田。  球はワンバウンドしてショートのグラブの中へ、それを処理してファーストに投げ る。 「もういっちょう」 「よし!」  精力的に練習を続ける部員達。 「一体どうしたんだ」  部員達のあまりの変り具合に、首を傾げている山中主将。  それに武藤が答える。 「ああ、それはね。あの子のせいですよ」  土手で部員に囲まれている梓が、さとすように話している。 『ボクは、女の子を軟派するような軟弱な人は嫌いですから。スポーツマンならスポ ーツマンらしく、行動で示すような、野球に熱中しているような人が好きなんです』 「……とか、言ってたらしいですよ」 「ははん。それで急にがむしゃらに練習を開始したのか」 「いいところを見せようとしているわけですね」 「まあなんにしても、動機は不純だが、練習に身がはいるというのならば、ことさら として何も言うまい」 「いわゆる野球部のマスコットガールってところですか。いっそ野球部のマネージャ ーになってくれると、みんな喜ぶでしょうけどね」 「世の中、そううまく運ぶものじゃないさ。女の子はきまぐれなんだ。いつまでああ して見学にきてくれるか、わかるもんか」 「それはそうですけどね」  微笑みながら、部員達の練習を見つめている梓。 「こんな男的なスポーツのどこがいいのかしら」  その隣で怪訝そうな表情の絵利香。  帰宅の途中にある場所なので、梓の誘いを断りきれずに付き合っているが、いくら 眺めても好きになれそうになかった。誘いを断ってしまえばいいのだが、絵利香には お願い事を秘めているので、無碍にもできないでいたのだ。 「ねえ、梓ちゃん」 「なに?」 「あのね……」  もじもじしながら言い出しにくそうにしている。 「……ん?」 「な、なんでもない」 「なによ。途中まで言いかけてやめるなんて」 「ごめんなさい。また後で話すから」 「気になるわね」

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2017年7月22日 (土)

思いはるかな甲子園/女子高生・梓

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■ 女子高生・梓 ■  やがて春となり、梓は高校に進学した。  セーラー服に良く似た上着に、ミニのプリーツスカート。  真新しい栄進高校の女子制服に身を包み、その校門をくぐる梓。  かつて浩二が通った高校に舞い戻ってきたのである。 「なつかしいな……」  まだ浩二の記憶が残っていた。  散策してみようかと思ったが、 「梓ちゃん、入学式のある講堂はこっちよ」  と付き添ってきた母親が促す。 (子供じゃないんだから、付き添ってこなくてもいいのにな……)  しかし母親にとってはいつまで経っても子供は子供なのだそうだ。入学式を終えて、 家に帰りつくまでは離れてくれそうもない。慣れない道で迷子になりはしないかと心 配なのだ。  母親が一緒にいては自由に散策できない。 (ま、後日にでもゆっくりと散策しよう……)  それから数日後の放課後。  栄進高校野球部のある河川敷のグラウンド。  眺めのよい土手に制服姿の梓と、仲良くなった篠崎絵利香が腰を降ろして、 野球部の練習を眺めている。一緒に帰る途中に梓が、絵利香を誘って立ち寄ったので ある。  鞄からメモ帳を取り出して何やら書き込んでいる梓。 「ねえ、何書いてるの?」  とメモを覗きながら質問する絵利香。 「うん。部員達の行動パターンとか癖とか調べているんだ」 「そんなもの調べてどうするの?」 「野球部に入ったら必要になるから」 「ええ? 野球部に入るつもりなの?」 「まあね……」 「梓ちゃんに野球部は似合わないと思うけどな。女のわたしが見ても可愛いんだから、 どちらかというとテニス部の方がいいよ」 「テニス部ねえ……一緒にテニスやりたいから言ってるでしょ」 「あたり!」  絵利香はテニス部に入っていた。おりにふれてテニス部へ勧誘するのであった。 「でもさあ。あたしって、そんなに可愛いのかなあ」 「クラスの男子生徒達の視線に気づいていないの?」 「男子生徒?」 「みんなため息つきながら、梓ちゃんの事見つめているわよ」 「ふうん。そうなんだ……でも、絵利香ちゃんも可愛いよ」 「ありがとう」 「気づいていますか」 「ああ、土手の女の子だろう」  グランドのホームベース近く、練習の打ち合わせをしていた主将の山中勝美と、副 主将の武藤聡が、梓の方を見つめて話し合っている。 「このところ毎日のように来ていますね。他校のスパイかな」 「馬鹿、あの制服はうちの学校のもんだよ」 「でも、ずっとこっちを見ていますねえ。リボンの色からすると、一年生みたいです ね」 「しかし……なにはともわれ、かわいい女の子じゃないか」 「そりゃそうですが……あ、郷田のやろうが女の子に近付いてます」 「なに!」  梓達に声を掛ける郷田。 「君達、ずっと見にきているね。野球が好きなのかい?」 「うん」 「栄進の女子生徒だよね」 「そうだよ」 「一年生のようだけど、名前はなんというの?」 「うん?」 「あ、ごめん。言いたくなかったらいいよ。僕は郷田健児。センターを守っているん だ」 「こらー! 郷田。さぼるな」  ホームペース付近にいた山中主将が、メガホン片手に叫んでいる。 「あらあら、やかましのキャプテンがわめいてるから、行かなきゃ」 「がんばってね」 「また来てくれるかい?」 「たぶんね」 「ありがとう」

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2017年7月21日 (金)

思いはるかな甲子園/キャッチボール

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■ キャッチボール ■  梓の父親は、東証一部上場会社の社長であった。  ゆえにその屋敷も、大邸宅といっても過言でないほどの広さを誇っていた。  その広さに最初は、戸惑っていた梓であった。  自室からリビングに移動してきた梓。  ソファーに腰を降ろして新聞を広げて読んでいる父親がいる。  今日は日曜日、会社が休みでくつろいだ表情だ。 「お父さん、おはよう」 「ああ、おはよう。梓」  声を聞きつけたのか、ダイニングキッチンから母親が顔を出す。 「梓ちゃん。起きたのね、悪いけどちょっと手伝って」 「はーい」  明るく返事をして、ダイニングキッチンへ向かう梓。 「おはよう、お母さん」 「おはよう、梓ちゃん」  梓は女の子であり、母親が朝食の手伝いをさせるのは当然である。  そして、素直に従う梓であった。  精神的には他人でも、身体的にはこの両親の娘である事には違いない。養ってもら っている以上、言われた事には忠実になるしかない。  食事を終え、後片付けも済んで、リビングに戻る梓。  そして父親を捕まえて催促するのだ。 「お父さん、キャッチボールしようよ」 「またかい? しようがないなあ」  といいながらも、嬉しそうな表情を見せて立ち上がる父親であった。  世間では父娘断絶の風潮があるなかで、娘の方から声をかけてきてくれて、頼りに されている実感というのは、父親冥利につきるというものだ。どんなに仕事で疲れて いても、可愛い娘の相手をしていれば心は癒される。  梓が父親とキャッチボールを始める発端になったのは、リビングの暖炉の上に飾ら れていたバットとグローブだった。  不審に思った梓が尋ねてみると、父親が高校時代に甲子園出場を果たしたときの記 念の品だというのだ。 「お父さん、甲子園に出たの!」 「ああ、そうだよ。もっとも一回戦で敗退しちゃったけれどね」 「ポジションはどこ?」 「投手だったよ」 「すごいなあ」 「一回戦で敗退しちゃったんだよ」 「でも、県大会を勝ち抜いたということじゃない。やっぱりすごいよ」 「まあ、そういうことになるのかな」  梓、グローブをはめてみる。 「あは、ぶかぶかだ」 「そりゃ、そうさ。投手やるような男の手は大きくなくちゃだめだからね。梓は普通 の女の子だから小さいのは当たり前さ」 「ちょっとお父さんの手を見せて」 「うん、お父さんの手かい」  梓、広げた父親の手の平に自分の手の平を合わせてみる。 「わあ! お父さんのほうが倍くらいおおきい」 「ははは、大人の男だからね」  梓の白くてしなやかな細い指と、日焼けしたごつくて太い父親の指との違いが一目 瞭然であった。 「そうだ! お父さん、梓にグローブ買ってよ」 「グローブをか」 「うん。お父さんとキャッチボールしようと思って」 「キャッチボール?」 「だめ?」 「まあ……梓がどうしてもというならいいけど。梓の手なら、子供用だろうなあ」 「ありがとう、お父さん」  といって抱きつく梓。 「これこれ、梓」  というわけで、休日ごとにキャッチボールをはじめたわけである。  今でこそ仲睦まじい父娘であるが、転落事故以前の父親は、家庭を省みない仕事一 途であった。そんな父親不在の寂しさを紛らそうとする梓の意識に、あの不良達につ け込まれる要因があったといえる。  事故を契機として、娘に変化が現われたのを期に、父親も次第に変わってきていた。 キャッチボールしようと、娘の方から歩み寄ってきたり、喜んで抱きついてきたり、 父親を尊敬し笑顔を向けるようになったのである。娘とのスキンシップの交流がはじ まって、父親の方にも再び愛情が戻ってきた。  仕事一途の生活から、朝夕は一緒に食事を取るようにもなって、梓との会話が楽し くなっていた。娘がこんなにも可愛くて、いとおしいものだったとは、改めて再認識 する父親であった。  庭に出てキャッチボールをはじめる父と娘。 「お父さん、いくよ」 「よし、こい!」  父親が片膝ついて梓の投球を受けている。 「お父さん、今度はカーブ投げてみるね」 「いいぞ、来い」  梓ゆっくりと投球モーションを起こし、下手スローからボールを投げ出す。  その手から離れたボールは勢いよく父親のグローブに収まる。 「うーん。なかなかいいぞ」  ボールを返球する父親。 「しかし、梓がここまで上達するとは思わなかったな」 「お父さんのお蔭だよ。それに、お父さんの子供だし」 「そ、そうだけどさあ。やっぱり女の子だもんな、限界は越えられないだろう」 「限界?」 「そうさ。男なら百五十キロの球速も出せるけど、女の子ではせいぜい百二十キロし か出せないからな」

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2017年7月20日 (木)

思いはるかな甲子園/女の子として

 思いはるかな甲子園

■ 女の子として ■  あの日。  転落するも奇跡的に無傷状態の少女。しかし転落のショックでその精神はすでに死 亡しており、魂は抜け出てしまっていた。  そして浩二の方も、コンクリートに後頭部を強打、脳挫傷で脳死状態になった。死 亡した身体から魂が遊離し、たまたまそばに転がっていた魂の抜け殻となっていた少 女の無傷な身体に乗り移った。  考え行き着く結論は、やはりそんなところなのだろう。  梓に生まれ変わったばかりの頃は、浩二の魂と少女の身体が同調しておらず、ほと んど記憶喪失状態であったが、時と共に魂と身体が馴染んでくると、しだいに梓とい う少女の記憶が呼び起こされてきていた。浩二の魂が入り込んだとはいえ、少女の記 憶はそっくり残っているのだ。  梓の身辺の世話をしてくれている母親とも、最初はぎくしゃくとしたものであった が、記憶が戻り共通体験による話題を語り合えるようになると、しっかりとした母娘 関係が築かれていった。  ただ困った事には、梓の記憶が一つずつ呼び起こされるごとに、浩二だった時の記 憶がどんどんと失なわれていくのであった。  梓の脳神経組織は、女として考え女として行動する、完全な女性脳として形成され ている。ゆえに相容れない男性的な意識は、片っ端から切り捨てられているようであ った。  やがては、浩二だった記憶も完全に失せて、すっかり女の子らしい梓になってしま うのだろう。 「そうなるまえにやらなければならないな」  転落事故に至ったあのスケ番達は、目撃者の証言から逮捕・補導され施設送りとな っており、二度と関わることがないだろう。  問題は、浩二がやり残したこと……。 「甲子園か……」  ため息をついて空を仰ぐ梓だった。  急にお腹が刺し込んできた。 「う、うう……。ト、トイレ、いきたくなっちゃった」  広い邸宅なので二階にもトイレと洗面所がちゃんとある。  トイレにはいる。  ネグリジェの裾をまくりあげてショーツを降ろし、両膝を合わせるようにしてゆっ くりと便器に腰を降ろす。ネグリジェの裾は汚さないように膝の上にまとめて両手で 押えている。そして呼吸をととのえて膀胱の開閉口を閉じている括約筋をゆるめると、 いっきに小水が完全排出されるわけである。一般的に女性の場合、小水が完全排出さ れるまで途中で止めることは困難である。これは男性と違って尿道口が短く前立腺と いう弁がないからである。  ちょろちょろ音を立てて小水が流れ出ている。 「だいぶ、おしっこするのにも慣れてきたけれど……尿道口がどこにあるか、こんな 時くらいにしかわからないんだよな。全然めだたないもん」  それもそうだが、実際こうやって腰掛けて小用を足すとき、自分が女の子であるこ とをいやというほど思い知らされることはない。  トイレットペーパーを繰り出して、小水で濡れた股間を拭き取る梓。 「しかし、何度やってもおしっこで濡れちゃうな……みんなそうなのかなあ……」  おちんちんという突起物のある男性と違って、女性の尿道口はほとんど地肌から直 接開いているので、用足しの最中にちろちろと洩れて肌を伝い落ちてしまうのが避け られない。 「まさか母親に聞くわけにいかないし……」  水を流して、やおら立上りショーツをずりあげてネグリジェの裾を元にもどす。

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2017年7月19日 (水)

思いはるかな甲子園/新しい生活

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■ 新しい生活 ■  夢うつつ。  暗闇の中で背を向けて座り、何事か一心不乱に行っている浩二。  と、突然目の前に怪しげな人物登場。 「お主、何をしておる」 「だ、だれ!」 「ほお、おいしそうなフランクフルトであるなあ」  と自分の股間を見つめている人物。浩二が見てみるとなんといつの間にかフランク フルトがにょっきりとはえているのだ。それもマスタードとケチャップまでたっぷり とかかって。 「どうじゃ、このメロンパン二つと交換せぬか」 「だ、だめです!」  しかしフランクフルトはいつのまにかその人物の手に渡っていた。  気がつくと浩二は、女の子である梓の身体になっていて、胸にはメロンパンが二つ くっついていたのだ。 「なんじゃ、これはー!」  というところで梓は、悪夢というべき夢から覚めた。  冷汗が止めどもなく流れている。  目が覚めてもしばし呆然としている梓であったが、ふと気が付いたように自分の身 体を確かめはじめた。  しかしごく普通の女の子の身体に相違なかった。胸は小さめながらも形の良い膨ら みと弾力を持っているし、股間には今なお見なれることのできないデルタ地帯が広が っている。 「大丈夫、ごく普通の身体だよね」  冷汗を拭っている梓。 「しかし、変な夢を見たな。夢かあ……今のこの梓になったことが、本当は浩二がみ ている夢であって、夢の中でさらに夢をみた……ということはなさそうだなあ。どう 考えてもこの梓が現実の世界だよ」  退院の日から、両親に連れられてこの部屋で暮らすようになって、すでに一ヶ月が たっていた。  カーテンを通して朝の日差しが、部屋の中に差し込んでいる。  この部屋は南向きの一番日当りの良いところで、両親が大事な一人娘のために当て がってくれた部屋である。ベッドを降りてカーテンを開き、窓を開けると朝のすがす がしい空気が流れ込んでくる。精いっぱいの背伸びをして新鮮な空気を深呼吸する。  改めて部屋を見回してみる。  梓の趣味だろうか、明るい色調のピンク系を主とする壁紙や装飾が部屋を取り囲ん でいる。このベッドカバーもカーテンも……あれもこれもみんな以前の梓が選んだも のであろうか、十四歳の女の子らしい感性に満ち満ちていた。  本来なら相入れない感性のはずなのに、なぜかじっくり見つめているとなんだか落 ち着いてくるような感じで、もしかしたら自分のどこかに以前の梓が持つ感性が潜在 意識という形で残っているのかも知れない。感性だけでなく、ちょっとした自分の行 動にもまさしく女の子らしい仕草が現れて、びっくりすることがある。たとえば椅子 に座るときには意識せずともスカートの乱れを直しながら座っているし、あまつさえ 自然に膝を合わせ足を揃えているのだ。いわゆる反射や条件反射とよばれるものに、 女の子らしさが顕著に現れているのだ。どうやら梓が十四年もの間に渡って身につけ てきた癖とか仕草、身体で覚えているものはそう簡単には消え失せないものらしい。 これは母親がすでに気づいている通りであった。  窓の縁に腰かけて、ぼんやりと庭を眺める梓。  これまでのことを改めて考えなおしてみる。  退院のおりに、長岡浩二という少年つまり、自分自身の死を告げられていた。

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2017年7月18日 (火)

思いはるかな甲子園/生まれ変わり

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■ 生まれ変わり ■  とある病院の病室。  ベッドに寝ている少女。  そのそばで心配そうにしている少女の両親らしき二人。 「うーん」  少女、目覚める。  母親気が付く。 「あなた! 梓が気づきましたわ」 「本当か」 「ほら目を開けています」  朦朧とする中で、心配そうに自分を見つめている見知らぬ男女に気がつく少女。 「梓ちゃん、聞こえる?」 (梓……? なんだ) 「梓、しっかりしろ」 (俺のことをいっているのか……)  丁度、担当医師が入ってくる。 「先生、梓が、気がつきました」 「どれどれ」  医師、梓のそばに寄り、脈をとっている。 「梓さん。聞こえますか?」 (また、梓……、俺はいったい……だめだ、頭が痛い)  再び目蓋を閉じて眠りにつく少女。 「梓ちゃん」  医師、少女の目蓋を指で開いて、ライトを当てながら瞳孔検査をしている。 「先生……どうですか?」  医師、振り向いて立ち上がる。 「意識ははっきりしていなかったようですが、もう大丈夫ですよ。すっかり良くなっ ています。二・三日もすれば起き上がれるほど回復するでしょう」 「本当ですか?」 「はい」 「ありがとうございます」 「あなた……」  母親、父親の胸に。それをやさしく抱く父親。 「よかった。よかった……」 「高いビルから転落したり飛び降り自殺した人というのは、地面に激突する以前に、 墜落の途中で心臓麻痺や脳死によってすでに死んでいると言われます。実際にそれを 確かめる方法がないのであくまで推測の域を出ていませんが。ともかく、お嬢さまが 仮死状態ながらも、無傷で助かったのはほとんど奇跡といっていいでしょう」  病室。  開け放たれた窓のカーテンをそよ風が揺らしている。  ベッドに起き上がっている少女。 「ここはどこだ?」  きょろきょろとしている。  布団をはねのけて、ベッドから降りようとする。 「え?」  女物のネグリジェを着ている自分に気づく少女。 「あんだ、これは! なんで、女物のネグリジェなんか着てるんだ?」  さらに胸の膨らみに気がつく。 「こ、これは……」  そっと胸に手をあてる。  ぷよぷよとした弾力ある感触が返ってくる。  そっと胸をはだけてみる。  豊かとは言えないが少女にはふさわしいほどの胸の膨らみがあった。 「なんで胸があるんだあ」  合点がいかないようすの少女。 「まさか……」  下半身に手をあてる少女。 「ない……」  あまりのショックに声も出ないと言った表情。  そうなのだ。何を隠そうこの少女の身体には、長岡浩二の精神が乗り移っていたの である。  自分の身に一体何が起きたのか思い起こそうとしている。 「たしか……」  やがてビルからの転落事故の記憶が蘇ってくる。 「そうか……上から人が落ちてきたんだ……そして、気がついたらこのベッドの上に いた。しかもこの身体……」  その時母親が入室してくる。  あわてて隠れるように布団に入り込む少女。 「梓! 気がついたのね」 「……」  布団から顔だけを出すようにして、入室してきた人物を見ている。  母親、少女の枕元にやってくる。  少女あわてて布団を頭からかぶる。  緊張して心臓もドキドキ。 「気分はどう? 梓」  やさしく声をかける母親。 (梓って、いうのか……この身体の主の名前は……そしてこの女性はその母親みたい だな)  ゆっくりと顔を出す少女、梓。  にこりと微笑んでいる母親の表情。 「ここはどこ?」 「病院よ。あなたはビルの屋上から転落して、救急車でこの病院に運ばれたのよ」 「病院……」  母親、梓の額の汗をハンカチで拭ってやっている。 「そうよ。一時は仮死状態にまでなったんだから。でも奇跡的に息を吹き返したの」 「……」 「でもよかったわ、多少の打ち身はあるものの、身体には何の支障もなくって。ビル の一階に張り出された天幕の上に丁度うまい具合に落ちたから、それがクッションの 役目を果たしたのね」

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2017年7月17日 (月)

思いはるかな甲子園/転落事故

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■転落事故■  夏の全国高等学校野球選手権大会、県大会会場。  球場内から歓声が轟く。  マウンド上の投手長岡浩二、ガッツポーズをとっている。  アナウンス室では、金切り声を出して実況中継を行っていた。 『ラストバッターを三振に切って落し、栄進高校とうとう決勝進出を果たしました。 なんと優勝候補の筆頭西条学園をノーヒットノーランに押え込んでの偉業達成です。 それにしても今大会ノーヒットノーランはこれで三度目という超高校級の怪物投手が こんな無名チームに潜んでいたとは、まったく意外でありました』 『これは明後日の決勝戦、プロも注目の超高校級スラッガー、沢渡選手率いる城東学 園高校との試合が楽しみになってまいりましたねえ』 『まったくです。その明後日の試合のプレーボールは午後一時からです。実況中継は、 午前十二時五十五分からの放送となります。みなさまご期待ください……』  とある雑居ビルの屋上。  フェンス際で震えているセーラー服の少女と、取り囲んでいるがらの悪いスケ番風 のグループ。 「お願いです。もう許してください」  必死の表情で嘆願する少女。 「許せないねえ。あんたが逃げ帰ってくれたおかげで、約束の金が手にはいらなくな ったんだ。どうしてくれんでえ」  リーダー格と思われるスケ番が、少女に歩み寄って話し掛ける。 「他のことならなんでもします。だから……」 「なんでもだとう。女が手っとり早く大金を稼ぐには売春しかないんだよ。いいかい、 あたい達には金が必要なんだ。それも至急にさ」 「このかわいい面なら、素敵なおじさまがいくらでも出してくれるんだ」  と少女の顎をしゃくりあげるようにするスケ番。 「さあ、もういちど。あのホテルに戻るんだ」 「い、いやです。それだけは許してください」 「なんだとお、やさしくしてやりゃあ、つけあがりやがって」  いきなり少女の胸元を引き裂いてしまうスケ番。ビリッという音とともに少女の胸 元があらわになってブラがはみ出す。 「きゃあ!」  両手ですかさず胸元を隠して、その場にしゃがみこむ少女。涙を瞳に一杯あふれさ せている。 「おねがいです……」 「だめだねえ。強引にでも連れていくよ」 「さあ、来るんだよ」  スケ番、少女の手を取って引き連れていこうとする。 「い、いやあ!」  スケ番の手を思わず噛んでいる少女。 「いてえ! なにしやがんでえ」  スケ番、少女を突き飛ばす。  少女、手摺に激突してそのまま、手摺を乗り越え下へ転落してゆく。 「きゃあーーー」  落下していく少女。  街中。  野球道具を肩に担いだ浩二が、舗道を歩いている。 「あぶない!」  歩行者の叫び声。 「え?」  声が掛かればつい本能的に立ち止まってしまうものだ。それがいけなかった。  屋上から落下してくる少女は、一度ショーウィンドウの天幕でバウンドしてから浩 二の頭上を襲った。  身体ごと当たられてはさしもの屈強の体格をもってしても食い止められるわけがな い。追突の衝撃は浩二を跳ね飛ばした。そして、運悪くアスファルトの道路に後頭部 を強打して、意識を失ってしまったのだ。  少女も道路に伏したまま身動きしなかった。  高校野球県大会会場。  興奮したアナウンサーの声が、そこここのラジオから流れている。 『打ったあ、これはでかい! 沢渡選手、手ごたえ十分とみてかまったく動きません。 ボールの行方を確かめています。逆点の三塁ランナーは、一応タッチアップの態勢で す。入ったあ、ホームラン。さよならです。沢渡選手、今やっと一塁へ歩きだしまし た。そしてしっかりと一塁を踏みしめました』  球場を紙吹雪が舞っている。 『城東学園高校優勝です』  飛び出してくる城東学園の選手達。 『あ、たった今。情報が入りました。意識不明の重体が報じられていました栄進高校 のエース投手の長居君ですが、午後三時に埼玉医大救急病院にて、亡くなられたそう です』  グラウンドで泣きくずれる栄進高校のナイン達。応援団の人々も茫然自失状態にな っている。 『栄進高校にも知らされたのか、選手達泣いております。試合に敗れエースを失い、 なんと慰めていいのか、適当な言葉が浮かんでまいりません』  グラウンド上、一塁から戻った沢渡、ニュースを聞いて立ち尽くしている。 「長居君……。君と勝負がしたかった」  マウンドを見つめたまま、ライバルの夭折に胸を傷めていた。 『ノーヒットノーランを達成して決勝まで進んだというのに、転落事故に巻き込まれ て亡くなられるなんて……死んでも死に切れないでしょうねえ。ここに謹んでご冥福 を祈ります』

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2017年7月16日 (日)

甲子園物はじめます(^_-)-☆

夏の甲子園大会予選たけなわですね。

というわけで、妖奇退魔夜行を一時休載して、

短編小説「思いはるかな甲子園」

を連載はじめます。

妖奇退魔夜行の続きは、それが終了後に再開します。

それでは、よろしくお願いいたします。

夢想う木刀 其の陸

 インターハイがはじまった。
 剣道大会の組み合わせが抽選会によって、前年度優勝校の福島女子高校と阿倍野女子高校とが決勝戦で顔を合わせることが決まった。もちろん順当に勝ち進めればの話であるが。
 実は抽選くじを引くときに、蘭子が式神を使役して、両校が決勝戦で対戦できるように図ったのである。
「これぐらいのインチキは許してもらえるよね」
 この世に彷徨っている魂を成仏させるための細工なら許されてもいいだろう。
 そして試合がはじまる。
 蘭子のめざましい活躍によって、阿倍野女子高校は勝ち進み、とうとう決勝戦へと駒を進め、福島女子高校も共に決勝進出を果たした。
 ここに因縁の対決が再現する運びとなったのである。
 決勝戦を前にして、柿崎の様子に変化が現れはじめていた。
 柿崎の対戦する相手は、姉を死に追いやった桜宮民子。
 いやがおうにもボルテージが上がる。
 蘭子は井上課長が調べた内容を思い起こしていた。
「実は、その試合。判定は下っていないんだ」
「判定が下っていない?」
「その時、桜宮の放った払い突きが決まったかに見えた。柿崎はこれを身一つ交わして反撃体勢に移ろうとしたが、バランスを崩して転倒してしまった。いわゆるスリップダウンだ。当然ルールによって『止め』が入って試合中断となる。しかし柿崎は二度と起き上がらなかった」
「そうでしたか……。試合決着を果たせないまま、恵美子さんの魂は、この世に未練を残して彷徨いはじめたというわけですね。恵美子さんを浄化させるには、当時の試合を再現して決着を図るしかないでしょう。その魂はあの試合場の中に閉じ込められているのです」
 控えの席に置いてある木刀からオーラが発しはじめ、やがて柿崎の身体へと憑依した。
 それに伴って柿崎の身体が輝きだした。
 もちろん一般の人の目には見えないし、蘭子のような霊能力者にしか見ることができない。
 恵美子は妹の身体を使って、果たせなかった試合の決着をつけるつもりでいるらしい。
 柿崎と桜宮が試合場に登場する。
 因縁の対決のはじまりである。
 技量は双方ともほぼ互角で、激しい鍔迫り合いを続けていた。
 何度かの止めが掛かって、先に一本を取ったのは柿崎だったが、その直後に一本を取り返され、勝負は三本目に決まる。
 ちょっとでも隙を見せればやられる。息詰まる攻防戦。
 観客達も固唾を飲んで魅入っている。
 桜宮が大きく動いた。
 一瞬の隙をついての、喉元への突きが炸裂する。
 柿崎が身をかわして突進を避けるが、バランスを崩して転倒してしまう。
 桜宮の一撃は有効打とは認められず旗は揚がらない。
 転倒によって止めが入って、試合中断。
 倒れた柿崎は身動きしなかった。
 誰しもが身を乗り出していた。
「あの時と同じだ!」
 そうだ。
 柿崎恵美子が亡くなったあの時の状況が再現されていた。
 倒れたまま動かない柿崎。
 審判員が歩み寄って声を掛けている。
「君、大丈夫かね?」
「だ、大丈夫です」
 頭を軽く振って起き上がる柿崎。
 軽い脳震盪のようだ。
 ゆっくりと立ち上がって試合が再開される。
 ここに至って柿崎の発するオーラが一段と激しく揺れ動くのを蘭子は見た。
 柿崎が強く踏み込んで突進した。
 パシン!
 竹刀が桜宮の面を捉えて大きくしなった。
「一本!」
 旗が三つ揚げられて、文句なしの一本だった。
 勝敗が決して両者一礼し、試合場を出て面を脱ぎにかかる。
 柿崎の瞳から大粒の涙が止め処もなく流れていた。
「姉さん……」
 柿崎は気づいていた。
 姉が自分の身体を使って因縁の対決をしていたこと。
 今、思いを遂げた姉の魂が静かに天国へと旅立つ姿を、柿崎はその目にはっきりと見ていた。
「ありがとう、美代子」
 その表情は、やさしい微笑を浮かべながら、静かに昇天していった。

 数日後の柿崎の自宅の庭。
 柿崎が木刀を使っての素振りをしている。
 松虫中学時代の親友である金子が、縁側に腰掛けて見つめている。
 素振りを中断して、金子の隣に腰を降ろす柿崎。
「辻斬りの件については、本当に済まなかったと思っている」
「気にするな。おまえ自身がやったわけじゃない」
「ありがとう……」
「姉さんは、天国へ無事にたどり着いたかな」
「たぶん……」
「ところで、その木刀」
「ああ、これね。亡くなったおじいちゃんの形見分けで、姉さんが子供の頃に譲り受けたものだよ。範士八段でとっても強かったらしいよ。姉さんは、おじいちゃんのように強くなるんだと言って、この木刀で毎日素振りをしていた。だからこれに姉さんの情念が宿っていたのかもしれないね」
「そうか……」
 二人揃って空を仰いでいる。
「ところで蘭子はどうしている?」
「インターハイ出場だけの入部という約束だったから、元の弓道部に戻ったよ」
「あれだけの才能、もったいないな」
「決勝戦まで進めたのは蘭子のおかげ。感謝しているよ。今度は弓道部で大活躍をすることを祈るだけよ」
「そうだな」

 阿倍野女子高校一年三組の教室。
 昼食を終えた蘭子は、頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めている。
 今回の事件では、抽選くじを式神を使って細工した以外、呪法などは使わなかった。
 強力な呪法をもって除霊するだけが陰陽師の仕事ではない。怨霊とて元は人間である。彷徨い出た原因を突き止め、うまく立ち回れば怨霊自ら成仏してくれることもある。
 それこそが本当の意味での除霊なのではないだろうか……。
 良い経験になったと思う蘭子だった。

「食え!」

 と突然声がしたかと思うと、目の前の机の上にハムカツサンドが置かれた。
 振り返ってみると、空手部主将の望月愛子だった。
「剣道部では大活躍したそうだな。今度はうちの空手部の助っ人を頼む」
 どうやら、ハムカツサンドで助っ人するという、間違った噂が流れているらしい。
 頭を抱えてしまう蘭子だった。

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2017年7月15日 (土)

夢想う木刀 其の伍

 その頃、蘭子の携帯電話に井上課長からの一報が入ってきていた。
「亡くなったのは、阿倍野女子高校剣道部の柿崎恵美子。当時二年生だったが、決勝戦の試合中に相手の突きをまともに食らって転倒、後頭部を強打して意識不明になり、そのまま亡くなったそうだ」
「当時の試合のトーナメント表はありますか?」
「もちろんあるさ。抜かりはないよ」
「これから伺いたいと思いますが」
「いや、私が君の家に出向くよ。協力を頼んでいるのは、こちら側だからな」
「では、土御門家の方においで頂けますか? 今、そちらの方にいますので」
「判った。十分後に着くと思う」
「お待ち申しております」
 それから程なくして、井上課長が土御門家にやってきた。
 晴代も同席の上で、事故の詳細を報告する井上課長。
「良く判りました。不業の死を遂げた柿崎恵美子さんの怨念が成仏できずに、この世を彷徨っているものと思われます。そして愛用していた木刀を依代としたのです」
「木刀を依代として、誰に摂り憑いているのかね」
「もちろん、妹である柿崎美代子さんでしょう。同じ剣道部に所属していますしね」
「なるほど……」
「トーナメント表を見せて頂けませんか?」
「ああ、これだ」
 井上課長は懐から当時の試合のトーナメント表を取り出して見せた。
 それをしばらく見つめていた蘭子であったが、
「やはりそうです」
 と、トーナメント表を指差しながら説明をはじめた。
「ご覧ください。連夜の事件の足跡をたどってみますと、このトーナメント表に沿って起きていることが判ります。一回戦の住吉高校、二回戦の天王寺高校、三回戦の清水谷高校と、トーナメントで阿倍野女子高校が勝ちあがってきた相手校が、順番に辻斬りにあっています」
「下から順番に敗戦校を襲っているのか、なるほどぴったりと符合するな。とすると最終的には、決勝戦を戦った福島女子高校が狙われると?」
「そういうことになりますね」
「それで思いが遂げられれば、晴れて成仏してくれるのだろうか」
「いいえ。そうはならないでしょう。彼女の魂は、決勝戦の試合に臨んだまま時が凍ってしまっているのです。ですから、決勝戦を再現してあげることが肝心でしょう」
「再現?」
「阿倍野女子高校と福島女子高校が決勝戦に進出して試合をすればいいのです。しかも対戦相手は柿崎恵美子さんと……」
「桜宮民子さんだ」
「そうです」
「しかしこればっかりは、実力次第、運次第だからなあ……」
「祈るしかありませんね」

 阿倍野女子高校の体育館。
 剣道部が練習している。
 そこへ剣道の防具袋を携えた蘭子が入場してくる。
 一同が振り向いて注目する。
 柿崎が駆け寄ってゆく。
「蘭子!」
「柿崎先輩……」
「やっと入部してくれる気になったのね」
「条件があります」
「条件?」
「インターハイに限っての入部ということでしたら」
「いいよ、いいよ。それで十分よ」
「それともう一つ。入部前に先輩と一本勝負をさせてください」
「一本勝負? 判った、相手してやるよ」
 練習が一時中断して、一本勝負の準備に入った。
 一年二年生は、体育館の周辺に座り込んで観戦である。
 試合場となる区切りとして、白いラインテープが引かれており、両端に別れて対面して正座。防具を着用する柿崎と蘭子。
 準備が整ったところで試合場に進み出る。
 二歩進んで礼をし、さらに三歩進んで蹲踞する。
 三年生が審判役に入って、
「はじめ!」
 の合図を掛ける。
 立ち上がって一本勝負のはじまりである。
 一年生ながらも、蘭子の腕前は二年三年生なら誰でも良く知っていること。
 阿倍野中学時代には剣聖とまで呼ばれ、柿崎主将でさえ幾度となく敗れていた。
 相手の様子を伺って、双方ともなかなか手を出さなかった。
 先に動いたのは蘭子だった。
 鋭く踏み込んで柿崎の面を捉えた。
 パーンと高らかな音が鳴り響く。
 がしかし、直前に体勢を崩しながらも竹刀で防御していた。
 有効打突と認められずに、再び離れて試合再開。
 それから激しい鍔迫り合いが繰り広げられていた。
 おおむね蘭子が優勢であったが、柿崎も執拗に食い下がって粘る。
「一本!」
 審判員の手が高々と挙げられ勝敗は決した。
 蘭子の【すり上げ引き面打ち】が見事に決まったのである。
 体育館に拍手が湧き起こった。
 両者礼をして試合場を出て面を脱ぐと、対戦の激しさを物語るように汗びっしょりとなっていた。
「ようし、一年二年生は練習を再開して、三年生はちょっと集まって頂戴」
 柿崎が指示すると、それぞれに体育館に散らばって素振りの練習を再開した。
 三年生に改めて蘭子を紹介する柿崎。
「みんなも知っていると思うけど、中学時代に活躍した逢坂蘭子さんよ。その実力を評価してインターハイの出場選手として登録するけど、意義ある方いるかしら」
 誰も異論を述べる者はいなかった。
「決まりね。これで蘭子は、剣道部員の仲間入りよ」
 インターハイに限っての入部という条件があるのだが、それはいつでも撤回させてみせるという意気込みをもっているようだった。
 ともかくも蘭子の剣道部入りが決定した。

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2017年7月14日 (金)

夢想う木刀 其の肆

 数日後。
 校内放送で校長室に呼ばれた蘭子。
 そこには柿崎美代子が先に来ていた。
 何かいやな予感がする蘭子だった。
「逢坂君。呪われた鏡の一件以来だね。あの鏡はどうしました?」
「魔人は退治しましたので、普通の鏡に戻ってしまいましたが、念のために封印して書庫蔵にしまってあります。顛末はご報告したはずですが……」
「あ、いや。確認しただけだ。とにかくご苦労だったね」
 魔鏡のことはともかく、問題はそばにいる柿崎が気になっていた。
 校長は話題を変えて、核心に入ってきた。
「さてと……。君をここへ呼んだのは、クラブ活動についてだ」
 そらきたと思う蘭子。
 柿崎を見たときから、校長が何を言ってくるかが判っていた。
 学校からの要請という形で、剣道部員としてインターハイに出場してくれと、申し出てくるに違いない。
 柿崎先輩が手を回したようである。
「逢坂君は、中学生の時は剣道で、府大会の上位成績を常に維持して活躍していたそうだね。それが高校生になって弓道部に転向した。しかしせっかくの腕前、もったいないとは思いませんか」
「クラブ活動を何にしようと、個人の自由です。束縛されるいわれはないと思いますが」
「確かにその通りだ。その通りなのだが……。学校側としても、君がインターハイに出場して活躍してくれるのを期待しているのだよ」
「学校の名声が上がって、入学志望が増えますか?」
「ううむ……。正直言って否定はしない。聞けば弓道部の方では、一年生ということで今大会には選手登録しないという。その点剣道では君には実績があるから、それを評価して団体戦と個人戦に選手登録するという」
「その話は、柿崎先輩にはお断りしておいたはずです」
「君の将来のためにもなることだと思う。進学の際にも有利に働くとは思うのだが」
「よけいなお世話ではないでしょうか。将来のことは自分で決めます」
「ううむ……」
 蘭子の頑固さに言葉を失う校長。
 一方の柿崎は、学校側に要請した観点から口出ししない方がいいだろうと、黙って成り行きを見守っているだけであった。
「とにかく、お断りします。失礼します」
 と言い残して、蘭子は校長室を退室してしまう。
 ほとんど同時に深いため息をもらす柿崎と校長。
「申し訳ありませんでした校長先生」
「いや、いいんだよ。逢坂君が、インターハイに出場することは、とても良いことだと思うからね」
「恐れ入ります」
「まだ時間はある。時間をかけて説得することだ。今大会には間に合わなくてもね」
「はい。そうします」
 校長にお礼を言って、校長室を後にする柿崎。
 今日は部活は休みなので、そのまま帰宅することにする。
 校門前に意外な人物が待ち受けていた。
 住吉高校剣道部の金子である。例の辻斬りの最初の被害者である。
 片手に大きな袋を携えていた。
「傷の方は、もう大丈夫なのか?」
「ああ、大したことはなかったからな。ピンピンしているよ。それよりこれから一緒に付き合え」
「それは構わないが……」
「ほれ、これは一応返しておくよ」
 と、ポンと放り出すように携えていた袋を渡した。
 開けてみると、剣道の防具の面だった。
「こ、これは?」
「どうした? 盗まれでもしたと思っていたか?」
「なぜ、おまえが持っている」
「ああ、ここでいいだろう。中に入ろう」
 喫茶店があった。
 話はそこでという風に構わず入ってゆく金子。
 訳が判らずも従ってゆく柿崎。
 渡された面は、確かに自分のものだ。ある日のこと、防具袋から消えていた。こんな物盗む奴がいるのかと不思議に思っていたところだった。
 喫茶店のテーブルに対面するように腰掛け、オーダーしにきたウェイトレスに注文を入れると、金子が単刀直入に尋ねてきた。
「私が辻斬りにあっていたその時間。おまえ、どこで何をしていた?」
「辻斬りの時か」
「ああ、三日前の午後七時頃だ」
 鋭い眼光で睨みつける金子。
「どうしてそんな事を聞く?」
「どうしても何も、その面は辻斬り野郎が顔を隠すために被っていた物だよ」
「辻斬りがこれを?」
 金子の言わんとしていることが判ってきた柿崎。
 自分を辻斬りの犯人だと金子は疑っているのである。
 しかし辻斬りなどやった覚えはないし、もちろんその後にも続いている事件も同様だった。
「どうした、アリバイを言ってみろ」
 詰め寄られて、三日前のことを思い出そうとする。
 だが記憶が曖昧で、確証たるものが思い起こせなかった。
「答えられないだろう。辻斬りはおまえの仕業だ」
「そんなことはない!」
「ならばその面のことは、なんと釈明するつもりだ」
 証拠を突きつけられては、反論などできない。
 実際のところ、ここ最近記憶が曖昧で、朝になって脱力感に襲われることが多かった。まるで前日に試合でもやって精神疲れ果てたみたいな。
「おまえには姉がいたな」
「ああ、試合中の事故が原因で亡くなったが……」
「おまえ、その姉の亡霊に魅入られていないか?」
「どういうことだ?」
「あの時、私を襲った奴の身のこなし方は、日頃のおまえのものじゃない。構え方、足の運び、打突に入る瞬間の姿勢まで、おまえの姉の動きそのものだった。何度も練習試合や大会で何度も対戦しているから判るんだ」
 自分が姉の亡霊に魅入られている……。
 突きつけられた真実を受け入れられない気分だった。
「まあ、そんなところだ。真犯人が亡霊じゃ、おまを糾弾してもはじまらないだろう。おまえ自身が知らないことだ。忘れてやるよ」
 注文した品物が運ばれてきて、黙ったまま食べ終わる二人。
 と、席を立ち上がる金子。
「ここの払いは、おまえもちだ。いいな」
「あ、ああ……」
 喫茶店に一人残され、思案に暮れる柿崎だった。

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2017年7月13日 (木)

夢想う木刀 其の参

 摂津国土御門家一門の陰陽師の会の寄り合いが、四天王寺近くの公民館で開かれていた。
 蘭子は総代である晴代の代理として出席していた。
 最近腰が弱くなってきて、外出を控えているからである。
 寄り合いの内容は、若狭にある安部有宣系統の土御門家に比べて、摂津土御門家の知名度があまりに低いことをどうするかであった。
 摂津土御門家は本家ではないものの、分家の流れを引き継ぐ正統なる土御門一族の末裔であることには違いない。
 いつものことであるが、寄り合いは何の解決策も見出せないままお開きとなった。
 寄り合いの帰り道。
 四天王寺境内を近道して家路についていた蘭子。
 何かが激しくぶつかり合う音を耳にして、その現場に向かうと、女子剣道部と思しきグループが竹刀を振り回して、木刀を持つ覆面をした人物と乱闘していた。
 すでに何人かが倒れており、木刀の人物の技量の方がはるかに上だった。
「あ! あれは!!」
 覆面者の持つ木刀から怪しげなオーラが発せられていた。
 それは不定形だったり、人の形になったりしながら、覆面者にまとわりついていた。
 典型的な憑依霊。
 何者かの霊が木刀に憑依して、覆面者の精神を乗っ取り操っているのだ。
 魂に操られた身体は、時として人の能力を超越した力を発揮する。
 あっという間に剣道部員は全員倒されてしまった。
 満足げに踵を返して去っていく覆面者。
 後を追おうとしたが、倒れている剣道部員達の介抱が大切である。
 かがみ込んで手当てをしようとした時、懐中電灯に照らされ、数人の警察官に囲まれた。野次馬の誰かが通報したらしい。
 そして不審人物として、最寄の天王寺警察署へと連行されることになったのである。

 取調室。
 膨れっ面をした蘭子がいる。
 もうかれこれ二時間以上も繰り返し、同じ尋問を受け続けていた。
 警察の執拗な尋問には際限がない。
 精神をくたくたにさせて、早く帰りたければ自白調書に署名しろと迫る。
 現場検証なり目撃証人探しなどの捜査を開始して、被疑者を特定するのが本筋なのであるが、いつ終わるとも知れない捜査に多くの人員を動員するのは面倒である。
 この際、現場にいた怪しげな人物に、詰め腹を切ってもらって被疑者になってもらおうという魂胆である。
「何の取調べかね」
 ドアの外で声がした。
 蘭子はどこかで聞いたような声だと思った。
 やがて取調室の扉が開いて意外な人物が入ってきた。
 相手は蘭子を見るなり、親しげに声を掛けてくる。
「これは蘭子さん。またもや奇遇ですなあ。こんな所でお会いするなんて」
 大阪府警本部捜査一課の井上課長だった。
 尋問していた刑事達が立ち上がって敬礼する。
 天王寺警察署署長と同階級の警視にして、府警本部のキャリア組の刑事課長である。
 ノンキャリア組の彼らにとっては、緊張のあまりに固まってしまうぐらいの相手であった。
「おい、君。どうして女性警察官を立ち合わせないのかね。相手が女性の場合はそうする決まりだろう」
「し、失礼しました」
「この方は、私がお相手する。君達は現場の聞き込みに回りたまえ」
「判りました」
 あわてて取調室から駆け出してゆく刑事達。
 蘭子と井上課長が残されていた。
 相変わらず膨れっ面の蘭子。
「済まなかったね。二度もこんな目に合わせてしまって」
「もう十二分に味あわせていただきました」
「応接室に行こうか。罪滅ぼしに上等なお茶菓子を出してあげるよ」
 と案内するように取調室を出てゆく井上課長。
 立ち上がり井上課長に従う蘭子。

 応接室でお茶菓子を頬張っている蘭子。
「ところでと……。目撃したことを詳しく話してくれないか」
 蘭子が落ち着いたところで、事件の詳細を尋ねる井上課長。
 井上課長は、蘭子を被疑者として考えていないようであった。
 見たままありのままを答える蘭子。
 怨霊が関わっていることも、井上課長になら正直に話せる。
「怨霊がその人物に摂り憑いているのかね」
「いえ、摂り憑いているのは木刀なのですが、それがその人物を操っているようです」
「なるほど、依代が木刀だと……。相手が怨霊だと警察は手も足も出せないな」
 それは蘭子に捜査協力して欲しいとも受け取れる発言だった。
 心臓抜き取り変死事件、夢鏡魔人往来変死事件と、蘭子の能力が発揮されて、事件は解決した。
 言われるまでもなく陰陽師として【人にあらざる者】を退治するのは、自分に課せられた宿命でもある。
「この事件はインターハイと深く関わりがありそうです。試合中に事故で亡くなられた選手とかはいませんでしたか?」
「それは調べれば判るが……」
「至急調べていただけませんか?」
「判った。調べてみよう。判り次第連絡するよ」
「お願いします」
 それから井上課長に覆面パトカーで自宅まで送ってもらった蘭子であった。

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2017年7月12日 (水)

夢想う木刀 其の弐

 翌朝、逢坂家の食卓。
 蘭子と家族が食事を摂っている。
 TVでは朝のニュースが流れている。
「昨夜。午後七時頃、辻斬りがありました」
「辻斬り?」
 蘭子の眉がぴくりと反応した。
 TVに耳を傾ける。
 ニュースは、昨夜の住吉高校剣道部辻斬り事件を報道していた。
 関係者の談によると、高校総体を間近に控えて、実力者を闇討ちで討伐しようとしたのでないかと憶測が流れているという。
「昨夜は何も感じなかったか?」
「いいえ」
「そうか……」
 妖魔が事件に絡んでいるのではなさそうである。
 蘭子は妖魔が放つ妖気を、どんなに微かでも感じる能力を持ち合わせていた。それが感じられなかったということは単なる辻斬りか、でなければ悪霊の類である。怨霊なら怨念を晴らしさえすれば勝手に成仏してくれるが、妖魔は容赦がないので放ってはおけない。
「もし怨霊の仕業だとしたら、インターハイにまつわる何かがあって、成仏できないでいるのでしょう。この時期に事件が発生したことを考えれば」
「そうかも知れないな」

 阿倍野女子高校一年三組の教室。
 昼食を終えてのリラックスタイム。
 外へ遊びに出るものもいれば、惰眠をむさぼる者もいる。
 蘭子はというと頬杖をついて、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。
「食え!」
 と、突然声がしたかと思うと、机の上にハムカツサンドが置かれた。
 振り返ってみると、中学時代の二年先輩の柿崎美代子だった。
 さらに、バンと叩きつけられたのは、入部届だった。
「サインしろ! 必要事項はこちらですべて記入してある」
「これはどういうことですか?」
「おまえは今日から剣道部の部員だ」
 入部届には剣道部と書かれ、その他必要事項がちゃんと記入されていて、後は自分の署名を入れるだけとなっている。
「どうしてそうなるのですか?」
 柿崎は対面するように前の席に逆すわりして続ける。
「インターハイが近いな」
 というと顔をグイと睨めっこのごとく近づける
「そのようですな」
「おまえを団体戦と個人戦の出場選手として登録する。存分に戦え」
「だから、どうしてそうなるのですかと伺っているのです」
 柿崎は一方的に決め付けて掛かっていた。蘭子の質問には答えようとはしない。
「他の部員達も了承している。一年生ながらも実力は中学時代に証明済みだ。心置きなく修業に励むことができるぞ」
「そうですか……」
 聞き耳を持たない相手に対して、蘭子の返事もぞんざいになってくる。
「中学時代には府大会試合では、常にベスト8をキープし、優勝も何度か経験している。その腕前をみすみす埋もらせたくないのだ」
「関係ないでしょう」
「どうしてもだめか?」
「今は弓道部です」
「そうか……」
 しばし言葉が途切れた。
 じっと蘭子の瞳を凝視している柿崎。
 蘭子も負けじと睨み返している。
 まるで時が止まったように身動きしない。
 窓から拭きぬける風が二人の髪をそよがせている。
「ふっ……」
 と、深いため息をついて体勢を崩す柿崎。
 柿崎は立ち上がり、入部届を取りながら言った。
「まあ、いいわ。今日のところはおとなしく引き下がるけど、何度でもくるからね」
 そして一年三組の教室から退室した。
 机の上には、ハムカツサンドが残されていた。
 このハムカツサンドは、カツに入っている肉がとてもジューシーでおいしく、歯ごたえもなかなかで人気の商品となっており、購買部ではすぐに売り切れてしまう。
 いわゆるまぼろしのハムカツサンドと呼ばれている。
 それをわざわざ手に入れて持参したのは、蘭子を是が非でも剣道部へ入れようという強い意志の表れなのであろう。
 さて、このハムカツサンドはどうするべきか?
 食べてしまえば、入部を承諾したことになるのだろうか?
 先輩は食べたからといって、それを口実に入部を迫るような性格ではない。純粋に差し入れと考えていいだろう。
 すでに昼食は終えていたが、捨てるにはもったいなくて、生産農家の皆様には申し訳ない。
 人気のハムカツサンドである。
 ハムカツサンドを取り、包装を解いて食べ始める。
 実においしかった。

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2017年7月11日 (火)

夢想う木刀 其の壱

 夕暮れ進む街並み。
 クラブ活動を終えて帰宅途中と思われる女子の一団が歩いている。
 竹刀を収めた鞘袋や面・胴具を収めた防具袋を携えているところをみると、剣道部らしい。
 クラブ活動中は真剣に剣術の修錬を行っていたのだろうが、今は緊張から解放されて、勝手気ままなおしゃべりに夢中である。
 話題が全国高校総体大阪府予選のことになる。いわゆるインターハイである。
「今年のインハイ個人戦は、金子先輩できまりですね」
「そうでもないでしょ。今年は強敵も出てくるだろうからね」
「強敵って誰ですか?」
「一級下の逢坂蘭子だよ。中学の時に何度か対戦したが、ことごとくやられて結局一本も取れずじまいだった」
「知っていますよ。阿倍野中学の女子剣聖とまで言われてましたね」
「ああ、その通りだ。今年から登場するだろうから気を引き締めていかなきゃな」
「でも、彼女。高校では剣道をやめて、弓道部に入ってやってるらしいです」
「なに! 弓道だと?」
「武道を広く浅くってところじゃないですか?」
「神社の道場で、合気道なんかもやってるみたいですよ」
「わからないなあ……。せっかく剣聖とまで言われるほどに精進したのに、それを捨てる?」
「まあ、人それぞれ、考えはいろいろありますよ」
 それから明るい話題に切り替えて再び盛り上がる。
 若い女性は気分転換が素早い。
 前方から誰かが来るのが見えた。
 まるで闇の中から突然出現したかのようだった。
 やがて街灯に照らされて、はっきりとした様相を現す。
「なんだ、ありゃ?」
 部員達が訝しげに思うのも無理はない。
 剣道の面を覆い、右手には木刀を持っているのだから。
 夜とはいえ、とても街中に繰り出す格好ではない。
「なんだよ、おまえは?」
 それには答えずに、黙って木刀を正面に構えた。
「やろうってのかい?」
 部員達も鞘袋から竹刀を取り出して臨戦体制に入る。
 がしかし、不審者は素早く動いて、あっという間に取り巻き連中を倒した。見事なまでの華麗なる動きだった。部員達の動きを完全に見切っていた。
 金子先輩と呼ばれた部員一人だけが残されていた。
 足元に気絶する後輩達を見て問い掛ける金子。
「どうやら、私と一対一の勝負がしたいらしいな」
 そのために邪魔になる雑魚連中を先に片付けたのだろう。
「問答無用」
 とばかりに再び木刀を構えなおす不審者。
「まあ、いいや。相手になってやるよ」
 鞘袋を解いて竹刀を取り出して相対する金子。
 共に正眼、気迫あふれる場面である。
 間合いを取りながら、少しずつ接近していく二人。
 先に仕掛けたのは不審者だった。
 軽く竹刀で受け止める金子。
 すぐに離れては、また打突と繰り返される攻防戦。
 激しい鍔迫り合いが続く。
 双方力量はほぼ互角。
 金子が勢いあまって転倒するが、不審者はご丁寧にも剣道ルールの『止め』を守って、起き上がるのを待っている。
 意外にも律儀な一面を見せるが、発端はいわゆる辻斬りである。
 起き上がり構え直すが、周囲に野次馬が集まってきているが目に入った。
 油断が生じた。
 ここぞとばかりに、踏み込んでくる不審者。
 強烈な打突が金子の左肩を捕らえて食い込んだ。
 苦痛に歪む金子だったが、カウンターで不審者の面に竹刀が当たり跳ね飛ばした。
 面は宙を舞って、金子の足元に転がってくる。
 不審者の顔は?
 しかし不審者は、顔を手で覆い隠して、駆け足で立ち去ってゆくところだった。
「素早い奴だ。ちぇ、暗くて顔が見えねえ」
 その言葉を最後に、気を失う金子だった。
 野次馬が寄ってくる。
 誰かが呼んだのだろう、パトカーのサイレンの音が近づいてくる。

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2017年7月10日 (月)

夢見の腕輪 其の質

 戦いは一進一退を続けていた。
 だが妖魔が見逃していたことがある。
 ここが土御門神社だということである。
 敷地内には、様々な呪法や道具立てによって常に清浄に保たれ、怨霊や物の怪、悪しき魔物など一歩も入れないようになっている。
 白虎の攻撃をジャンプで交わして、地に足を付けた瞬間だった。
「呪縛!」
 蘭子が素早く呪法を唱えると、妖魔の足元が輝いて曼荼羅の方陣が現れた。
 身動きを封じられる妖魔。
「こ、これは……」
「気が付かなかったろうが、その足元には妖魔には見えない特殊な曼荼羅が描かれているのだ」
「曼荼羅?」
「しかもここは敷地の丁度真中に位置する。結界呪縛は一段と強力だぞ。極楽浄土に送ってやる、仏に帰依してその罪をあざなえ」
 密教真言を唱え始める蘭子。
 右手を前に水平に伸ばして、広げた指先を少しずつ折り曲げていくと、それにともなって方陣が狭まっていく。
 苦しみもがく妖魔。
 そこへ白虎が飛び込んで最期の一撃を与えた。
 やがて断末魔の叫び声を上げて、光と共に消滅する妖魔。
 白虎が蘭子の足元に擦り寄ってくる。屈み込んで
「ありがとう、白虎。おまえのおかげで奴を曼荼羅に追い込むことができた」
 と、身体をやさしく撫でてやる。
「もう一つ、お願い。この子達の記憶を消して欲しいの。この神社で起きたすべての事を」
 すると白虎は、それに応えるように吠えると、すっと姿を消した。
 蘭子は立ち上がると、奇門遁甲八陣の結界を解く呪法を唱え始める。
 そして両手を、パンと叩くと、すべてが元に戻った。
 時が流れ、虫が騒ぐ俗世界へ。
 老いさらばえていたリーダーも、元の姿に戻っていた。
 ただ一つ消えてしまったものがある。
 あのミサンガである。
 妖魔が消滅したためだろうと思われる。

 翌朝の大阪阿倍野橋駅プラットホーム。
 通勤通学で混み合っている急行電車から、京子が飛び降りるように出てくる。先行く人々を掻き分けながら急ぎ足で駆けてゆく。
「あーん。遅刻しちゃうよ」
 どうやら寝坊したようである。
 注意力散漫になって、案の定誰かとぶつかってしまう。
「ごめんなさい」
 大きな声で謝り頭を下げると、わき目も振らずにそのまま立ち去ってしまう。
 ぶつかられた人物は、苦笑いしながら呟く。
「よほど、急いでいるんだな」
 大条寺明人は何事もなかったように、人ごみの中へと消え去った。

 予鈴の鳴り響く阿倍野女子高等学校。
 一年三組の教室は今日も元気だ。
 ワイワイガヤガヤと席にも着かずに談笑している。
 そこへ京子が息せき切って飛び込んでくる。
「滑り込みセーフ!」
 恵子が右手を高々と挙げて宣言する。
「ビリッケツだぞ」
「へいへい」
 肩で息をしながら自分の席に鞄を置く京子。
「今日も寝坊ですか?」
「深夜映画かしら」
「まあね……」
 と、頷く視線の先に自分の手首が目に入った。
 じっと見つめたまま動かない京子。
「あれ?」
 何かを忘れてしまったような、何かが足りないような……そんな感情が湧き起こる。
 しかし、
「しっかりしなさいよ。授業中に居眠りしなさんなよ」
 背中をポンと叩かれて正気に戻る京子。
「大丈夫だってばあ」
 笑って返す京子。
 そんな様子を斜め後方の席から蘭子が見つめている。
 妖魔とミサンガが消滅して、人の記憶からも消し去られている。
 何事もなかったように時が過ぎ去ってゆく。
 蘭子と妖魔との戦いも人知れずに、日夜繰り広げられていることも知らずに。

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2017年7月 9日 (日)

夢見の腕輪 其の陸

 と、その時だった。
 リーダーの表情が強張り始めた。
「な、なに!」
 異変を感じるリーダー。
 ミサンガを付けている腕が、急速に水分がなくなってやせ細っていく。
 髪が抜け始め、その顔が皺だらけになっていく。
 さらに全身が急速に老いさらばえて、少女の姿は見る影もない。
ばたりと地に伏せたその姿はミイラそのものであった。

「困るんだよね……。そういうことされると」

 突然、林の中から声が聞こえ、一人の少年が姿を現した。
 話題の人、大条寺明人であった。
「明人君!」
 思わず駆け出して、その背中に隠れる京子。
「もう大丈夫だよ」
 やさしく声を掛ける明人。
 しかし不良グループには強い口調で言い放つ。
「さあ、それを返してもらいましょうか。君達には百害あって一利なしの代物なんだから」
 百害あって一利なし。
 その意味が、この場にいる者には理解ができないようだった。
 ただ言えることは、それを手にはめたリーダーが老人のようになってしまったという事実である。
「そのミサンガは、僕と霊感波長の合ったこの娘にしか手首にはめられないのだからね」
 霊感波長……?
 どこかで聞いたような言葉である。
「その言葉、忘れていないぞ」
 修練場の方から、玉砂利を踏みしめながら、巫女服に身を纏った蘭子が現れる。
「おやおや、立ち聞きですか。無作法ですね」
「ひとつ聞きたい。露店商は儲かるか?」
「何のことでしょうねえ」
 霊感波長という言葉からも、あの露店商と同一人物であることは確かなようであるが、当人は薄らトボケている。
 もしかしたら、大条寺明人という人物に摂り憑いているのかも知れない。
「もう一つ聞いてもいいか?」
「どうぞ」
「人の運命を弄んで楽しいか?」
「さて、何のことでしょうねえ」
「おまえは京子に幸せを与える代わりに、他人の幸せを奪って不幸にしているだろう」
 鋭い目つきで、大条寺を睨み付ける蘭子。
 すると突然、大声で笑い出す大条寺だった。
「あはは……。なるほど、あなたには隠し立てはできないようですね。もちろん私の正体も?」
「大条寺明人、その正体は悪しき妖魔。摂り憑いたか?」
 一般人のいる前で、口には出したくなかったが、認めさせるにはいたし方がない。
「そのとおりですよ。さすがですねえ」
「なぜ、他人を不幸に陥れる?」
「それは簡単ですよ。いくら僕でも無から有は作り出せませんからね。だから幸せを持っている人と交換しているのですよ。もっとも少しばかりの手数料として、何らかの代償も頂いていますけどね。それで私は生きているというわけです」
「そうやって運転手の命も奪ったのか?」
「ああ、あれね。あの事故では、本当は京子さんが一生回復のない植物人間になるはずだったのです。それでは可哀想でしょう」
「良く言うな」
「私と京子さんは、霊感波長が合っているせいか、その未来も見えてくるのですよ。ですから、あの運転手さんと運命を取り替えて差し上げたのです」
「植物人間になるはずだろ。なぜ殺した? それが手数料というわけか」
「ご理解頂いてありがとうございます。そういうことです」
「許せない!」
 突然、蘭子たちのいる空間が変化した。
 京子や女子生徒達は身動き一つせず、瞬きすらしない。
 それまで鳴いていた虫の声、そよぐ風の音も止まった。
 まるで時が凍ってしまったかのように。
「ほう。奇門遁甲八陣の結界空間ですか。つまり閉じ込められてしまったというわけですね」
「これで心置きなく戦えるだろう」
「戦う? 僕はフェミニストでして、女性の方とは戦いたくありませんから」
 それにしても妖魔にしては良く喋るものだ。
 こうした場合、何か弱点があってそれを悟られないように、気を反らそうとしていることが多いものだ。或いは相手の反応を見ながら付け入る隙を見出そうとしている時もある。夢鏡魔人がそうであったように。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!」
「おやおや、問答無用というわけですか。仕方ありませんね、お相手いたしましょう」
 戦いがはじまる。
 妖魔の魔法と、蘭子の呪法とが互いに交差して炸裂する。
 緒戦は相手の手の内を読みあうせめぎ合いが続くが、妖魔はぴょんぴょんと跳ね回って、はぐらかすように容易に隙を見せない。
 まるで本気で戦う意思がないようである。
「白虎!」
 式神を召還する蘭子。
 地を駆け回る猛虎にして、最も敏捷性が高い。
 逃げ回る妖魔を追い込むには一番であろう。
 十二天将のうち、この白虎だけは呪法を唱えなくても呼び出せることができる。蘭子が三歳の時だった。晴代が召還した白虎に面白がって近づいて、手なずけて仲良くなってしまったのである。いわゆる霊感波長が共振したというべきだろう。以来、白虎を呼び出しては、その背中に乗って一緒に遊んでいたという。その様子を見た晴代は、蘭子の陰陽師としての並々ならぬ才能を見出し、御守懐剣の琥鉄と土御門家当主の座を譲り渡す決断をしたという。

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2017年7月 8日 (土)

夢見の腕輪 其の伍

 数週間が過ぎ去った。
 演劇を通して知り合った少年と急速に仲を深める京子。時刻を合わせて同じ電車に乗り合わせるようにして一緒に通学するようになっていた。休日には劇場や映画を一緒に観覧したり、公園を散策したりしている。
 しかし、他人の口に戸は立てられない。
 二人が一緒にデートしているのを見たという噂話が、阿倍野女子高校及び住吉高校の生徒達の間に広がるのも早かった。
 情報屋の芝桜静香が、登校してきた京子に駆け寄ってくる。
「聞いたわよ、見たわよ。住高の大条寺明人君と交際してるんだって?」
 興奮を身体中にたぎらせて抱きついてくる。
「ちょ、ちょっと」
 とまどい気味の京子に、おかまいなくマシンガンのような質問攻めを聞いてくる。
「なりそめは何?」
「いつから付き合っているの?」
「毎日一緒に通学しているの?」
 隠してもしようがないと観念した京子は、クラスメイトの前でなりそめや近況報告をしたのである。
「うらやましいわ。大条寺君といえば、住高演劇部の花形的存在で、ハムレットをやらせるならこの人との名声も高い。何でも父親が宝塚の劇場監督、母親がパリオペラ座の名優。両親から演劇の素質を受け継いだ期待の星との呼び声もあるわ。
「へえ、そうなんだ」
 一同目を見張り、耳の穴をかっぽじいて聞き入っている。
「でもいいのかな……」
 蘭子がぼそりと呟いた。
 それだけの有名人となれば、いわゆる『取り巻き』と呼ばれる連中が付きまとっているのが通常である。嫉妬や羨望という危険ともいえる状態にさらされることになる。『明人の恋人』と自称する人物もいるかもしれない。そういった連中の耳に噂話が流れたら、逆上して何をするか判らない。
 よけいなお節介かも知れないが、一応京子に注意を喚起した。
「お付き合いもいいけど、控えめにしておいた方がいいわよ」
「それは考えすぎじゃない?」
「そうそう、考えすぎだよ」
「しかし……」
 皆は一様に考えすぎだと言う。
 蘭子は腑に落ちない点があるのに気が付いていた。
 京子があの露店商に会ってあのミサンガを手に入れてから、運が回りはじめていること。
「あの露店商……」
 確かに妖気を身にまとっていた。
 霊感波長が似通っているとも言った。
 京子が幸せになる度に、誰かがその犠牲になっているのではないかと、思うようになっていた。
 交通事故を起こした運転手。あのスピードで九十度に近い急カーブなど科学的に不可能だと、事故調査に当たった警察官も言っていた。
 体育の鉄棒のテストで、できないと言っていた京子が合格し、体育好きの智子が不合格になった。その後、智子は逆上がりを簡単に披露してくれた。
 そして大条寺明人の件では、嫉妬にかられる女子生徒が大勢いるはずである。
 その他にもまだまだありそうな感じである。
「きっと何かが起こる!」
 蘭子は確信していた。

 その日はほどなくやってきた。
 夕暮れに沈む阿倍野女子高校の校舎。
 校門前にたむろする女子グループがいる。見た目にも柄の悪く、学生鞄を持っているところをみると、制服自由の住吉高校あたりか。
 そこへ腕時計を気にしながら、京子が出てくる。
 演劇部の練習で、こんな時間になってしまったのである。
「来たよ」
 顔を知っているらしい一人が声を掛けると、全員が素早く動いて京子を取り囲んだ。
「真谷京子だろ?」
「そうですけど……」
「話があるんだ。ちょっと顔貸しな」
 その口調には問答無用という響きがあった。
 黙って付いていくしかないようだ。
 夜道を連れ立って歩く一行。
「この先は……」
 京子は、一行が向かっているのは、阿倍野土御門神社だと気が付いた。
 土御門晴代が宮司を務めている神社である。
 蘭子がいるかも知れないと期待感が湧き起こる。
 この時間帯には、神社内の修錬場で合気道の稽古をしていると聞いたことがある。
 境内の人気のない所に連れて行かれる。
「おまえ、最近大条寺君と交際しているんだってね」
 いかにもリーダー格と思える生徒が尋ねてくる。
 おびえていて声が出ない京子。
 たとえ真実だとしても、素直に認めてしまうと、生意気だと思われる。
 どうせ知られているなら黙っていた方が良い場合も多い。
「まあ、いいや。ともかく別れてくんないかなあ」
 威圧的な態度で迫ってくるリーダー。
「そ、そんな事言われても……」
「ああ、こいつ口答えしよったで、生意気やなあ」
 いきなり胸ぐらをを掴まえられて、息が苦しくなって、その手を振り解こうとした時に、手首のミサンガがきらりと輝いた。
 いち早くそれに気がつくリーダー。
「ミサンガか。噂聞いているよ。何でも幸福を呼ぶミサンガらしいな」
 手下に合図してミサンガを取り上げるリーダー。
「それを返してください!」
 青ざめて取り返そうとするが、多勢に無勢である。
 悦に入ったようにミサンガを眺めていたリーダーだったが、
「もらっとくよ」
 勝ち誇ったように腕にはめた。

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2017年7月 7日 (金)

夢見の腕輪 其の肆

 大阪府立阿倍野女子高等学校グラウンド。
 体育の授業で、蘭子達が準備運動している。学校指定のジャージスタイルである。
「集合!」
 体育教諭が笛を鳴らして、鉄棒前に一同を呼び集める。
「今日は、鉄棒の蹴上がりのテストをする」
「ええ、テスト!」
「いきなり、ひどいよ」
 黄色い悲鳴が沸き起こる。
「蹴上がりができなければ、逆上がりでもいいぞ。何でもいいから鉄棒に這い上がれ。できた者は、一対のバスケットゴールを使って、自由にプレイしてよい。できない者は、できるまで特訓だ!」
「きゃあ! 横暴教師よ」
「セクハラよ」
「誰がセクハラじゃ。勝手なこと抜かすんじゃない。出席順一番からはじめるぞ。石川!」
「はい!」
 一番の石川久美は、一度目は失敗したものの、二度目にはくるりと鉄棒に這い上がった。逆上がりである」
「よし、合格}
 合格したものの一人では何もできないので、少し離れた所に腰を降ろして、他の合格者が出るのを待っている。
「あたし、鉄棒苦手なのよね。小学校の時に結局できずじまいだった」
「わたしだってそうよ」
「ご同輩!」
 京子達が抱き合って、苦しみを分かち合おうとしていた。
「逢坂蘭子」
 名前を呼ばれて蘭子が鉄棒に向かう。
 精神統一をはかってから、リズムカルに身体を動かす。美しいフォルムを見せて、鉄棒の上に這い上がる。反動を利用した完璧な蹴上がりで、そのまま大車輪に移行できるくらいの余裕があった。
「さすがだな、逢坂。合格だ」
「ありがとうございます」
 律儀に礼をして、久美の横に並ぶ蘭子。
 何を隠そう。蘭子はスポーツ万能だったのである。特に武道と呼ばれるスポーツには並々ならぬ力量を持っている。小学校の時は柔道、中学校の時は剣道と大阪大会の個人戦では、いつもベスト4に勝ち上がっていた。
 そして高校生になった今は、弓道に所属しているが、往年の活躍を知っている先輩達から、剣道部や柔道部への入部を勧められている。
 京子の番がやってきた。
 彼女はできなかった口らしい。おどおどと鉄棒に手を掛けるが、なかなか動こうとはしない。小学校の時にできなかったことは、大人になってもできないままというのは良くあることである。自転車に乗れないという大人も少なからずいる。
 ともかく蹴上がりか逆上がりである。
 できなければ居残り特訓。バスケットチームへの方には回れない。
「京子、頑張れ!」
 智子が声援を送る。
 京子が観念して動き出す。
 するとどうだろう。
 あれだけおどおどしていたのに、軽く体重を持ち上げて鉄棒の上に這いがったのである。
 信じられないといった表情の京子であった。
「ようし、合格だ。次!」
 ゆっくりと鉄棒を降りて、蘭子のそばに腰を降ろす京子。
「できたじゃない。おめでとう」
 祝福する蘭子の言葉にも、呆然とした表情の京子。
 その時、智子は鉄棒に這い上がれずに悪戦苦闘していた。
「おい。鴨川、本気出しているのか? おまえができないはずないだろう」
「そうなんだけど……。おかしいな」
 智子は学業はとんとサッパリだが、体育にかけてはずば抜けた運動神経と反射神経を持っていた。中学生の時には、テニス部のキャプテンを任され、この学校でも先輩に誘われてテニス部に入部。一年生ながらも試合に出場して好成績を収めている。
「深夜映画の見すぎで疲れてんじゃないのか?」
「そうかも……。BS2でいい映画やってるから」
「とにかく不合格だ。居残れ!」
「ほえ~」
 だらしない声を出して居残り組みに入る智子。
 一通りのテストを終えて、居残り鉄棒組みと、合格バスケット組みとに判れての授業がはじまった。

 近鉄南大阪線大阪阿倍野橋駅。
 構内の自動改札口を通る京子がいる。
 彼女は電車通学である。
 3番ホームに発着する準急か急行電車に乗り、河内松原駅で降りる。急行なら一駅だが、準急なら途中駅で急行通過待ちがある。急行は早いが混雑しているし、準急は遅いが座れることが多い。その時の体調や荷物量、急いでいるかどうかでどちらかに決める。
 丁度、準急が発車待ちで停車しており、しかも後続急行のない河内松原先着なので、都合よく乗り込むことにする。座席に腰を降ろし、鞄から本を取り出して読もうとした時に、はす向かいに憧れの人が座っているのに気が付いた。
 同じ阿倍野区にある大阪府立住吉高等学校の二年生で、両校との間には古くからの交流があって、生徒間の交流も盛んである。
 京子は、演劇部の交流会において、顔見知りになっていた。
 相手と視線が合った。
「あれ……?」
 明らかに京子に関心を持ったようだ。
 席を立ってこちらに向かってきて、京子の前に立った。
「君、阿倍野女子高校の演劇部だろ?」
「は、はい。そうです」
「名前を聞いてもいいかい?」
「真谷京子です。一年三組です」
「そうか、君も近鉄通学組みなのか……。駅はどこ?」
「河内松原駅です」
「僕は河内天美駅だよ。隣に座ってもいいかい?」
「はい、どうぞ」
 礼儀正しい少年だった。
 大阪府立住吉高等学校は公立にしては制服がなく、髪型自由でピアスも可という粋な校風である。平成17年のスーパーサイエンスハイスクールの指定校となっている。
 それから二人は演劇の話で盛り上がった。
 憧れの人と知り合え、仲良く慣れそうな雰囲気に幸せそうな京子であった。
 出会いがあれば、別れもある。
 そばにいたカップルが言い争いをはじめた。
「もうあなたとは付き合わないわ。さよならよ」
「ちょっと待てよ」
 電車を降りる女性と追いかける男性。
「いい加減にして!」
 男性の頬に力強い平手打ちを食らわして、さっさと改札口から出て行った。
 取り残され呆然と立ち尽くす男性。

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2017年7月 6日 (木)

夢見の腕輪 其の参

「119番だ」
「110番は、俺がしよう」
「自動車には近づくな! ガソリンが漏れているぞ、爆発の危険がある」
 野次馬が次々と叫んでいる。
「しかし、今の見た?」
「そうよね。車が急にカーブして激突したのよね」
「直前に女の子に気が付いて、急ハンドル切ったんなら、良くあることだよ」
 目の前で起こったスリリングな事故に、よほど急いでいない者以外は立ち止まって野次馬している。
「運転手は無事か?」
「この有様じゃ、即死だろ」
「そうね。こうもめちゃくちゃに壊れていたんじゃ、助けようにも助けられないよ。レスキュー待ちだね、生きていればの話だけど」
 さて、京子はというと、横断歩道にしゃがみ込んで、肩を震わせていた。
 いつまでもこうしているわけにもいかない。蘭子が肩を貸して立ち上がらせて、横断歩道を渡っていった。
 やがて四方からサイレンの音が近づいてくる。
 事故現場に到着したパトカーから降りてきた警察官は、事故処理班、交通整理班、事情聴取などに分担して、それぞれ活動をはじめた。
 救急車も追っ付けやってきたが、
「こりゃだめだな。レスキューを呼ばなきゃだめだ」
 一目見て、自分達では手の施しようがないと判断したようだ。
「それよりガソリンが漏れている、化学消防車もいる」
「もしもし、運転手さん、聞こえますか?」
 恐る恐る近づいて、自動車に閉じ込められた運転手に向かって、声を掛ける警察官。
 返事はなく身動きしないようだが、火を噴きそうな状況では、車の中に潜り込んで脈を診ることもできない。
 追っ付け救急車とレスキュー車、そして化学消防車が到着した。
「事故を目撃した方はいらっしゃいますか?」
 警察官が野次馬に向かって質問している。
「そんなもん。ここにいる連中みんなが目撃しているよ」
「白昼往来の事故だかんな」
「それでは、一番近くで目撃した方は?」
「それでしたら、そこの女子高生達ですね。何せ危うく轢かれそうになったんだから」
「轢かれそうになった?」
「赤信号無視の自動車にね。奇跡でしたよ」
「判りました。早速聞いてみましょう。おい、君はこの人や他の人から証言を取ってくれ」
 別の警察官に指令して、蘭子たちに近づいていく。蘭子たちが未成年だし、より多くの証言を得るためだろう。できればこれだけ大勢の野次馬がいるのだから、いろいろな角度からの目撃証言も欲しいところだ。
「君達いいかな?」
 やさしく微笑みながら話し掛けてくる警察官。轢かれそうになったと聞いて、怖がらせないようにしているのだろう。
「事故の証言を取りたいんだけど、話せる人はいるかな?」
 蘭子が手を上げた。
「私がお話しましょう」
「お名前と住所、それから学校名もお願いします」
「阿倍野女子高校一年生の逢坂蘭子です。ここにいるのはみんなクラスメイトです。住所は阿倍野区……」
「阿倍野女子高というとすぐ近くだね。それで事件の様子は?」
「この横断歩道の反対側で赤信号で待っていました。歩行者信号が青になったので、渡り始めた途端でした。突然猛スピードで自動車が交差点に突っ込んできたんです」
「交差点に突っ込んできたんだね」
「はい。あちらの方からです。良く『黄色当然、赤勝負』とか言われるでしょう? 信号無視の暴走で横断歩道を渡る歩行者にも視線に入っていない。そんな感じでしたね」
「黄色当然、赤勝負……ですか。なんとなく状況が理解できそうです」
「横断歩道に差し掛かる直前でした。突然、車が右へ急カーブして、横転しながら信号機に激突しました」
「なるほど、急ハンドルで横転ですか……。ブレーキ音とか聞こえませんでしたか?」
「いいえ、聞こえませんでした」
「聞こえなかったと……。確かにブレーキ跡はなさそうですね。ブレーキとアクセルを踏み間違えて、暴走ということが良くありますが、どれくらいのスピードが出てたみたいですか??」
「どれくらいと言われても、スピードメーターが見えたわけじゃなし、とにかく全速力という感じでしたね」
「全速力ねえ……。やっぱり踏み間違えたのかなあ。横断歩道を渡る君達に気がついて、目一杯ブレーキを踏み込んだがアクセルだったとかね」
「ああ、それは判りませんけど」
 それから身振り手振りを交えての実況検分に入った。自動車がどういうコースを走ってきて、どのように急カーブして、どんな具合に横転して信号機に激突したか。チョークで自動車の推定軌跡を描き、メジャーで測量していた。
 そんな間にも、レスキュー車の救出作業は続いている。
 運転席を下に横転して、信号機にめり込むように激突しているために、極度に困難な状態である。まず自動車を信号機から引き離して、横転した状態を起こしにかかる。そして運転席側からカッターや溶断機でドアを外して運転手を救出するのである。
 化学消防車は、こぼれたガソリンなどに引火しないように、中和剤を撒いている。

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2017年7月 5日 (水)

夢見の腕輪 其の弐

 大阪府立阿倍野女子高等学校。
 一年三組の教室に、女子生徒がそれぞれにグループを作り談笑している。
 いつもの朝のひとときだった。
 そこへ一際明るい表情をした京子が入ってきた。
「おはよう! みんな」
「あら、ずい分ご機嫌そうじゃない」
「それがさあ、当たっちゃったんだ」
「当たった?」
「うん、スクラッチカードの宝くじだけど、一万円」
「へえ、一万円か。それでもいいよね」
「昨日、アクセサリー買ったでしょ。皆と別れた後、宝くじ売り場の前を通った時、何となく買ってみたのよ。そしたら大当たり、元を取り戻しちゃった」
「幸運のミサンガだってわけか」
 しばらくミサンガの話題で盛り上がるクラスメイト達だった。
 ただ一人蘭子だけが、京子の手首のミサンガを見つめながら怪訝そうにしていた。

 放課後、もう一度露店商のところへ行ってみようと、昨日の場所に向かったクラスメイト達だったが、その窪地にはあの不思議な露天商の姿はなかった。
「いないわ……」
 残念そうな京子。
「やっぱりインチキなのよ。だから同じ場所には店を開けなくて移動しちゃったんだと思う」
「そうね。宝くじが当たったのも、単なる偶然なのかも」
「そうかしら……。あの人、別にお金を取るつもりはなかったんだから……」
「毎日露店を開いているわけじゃないのかもよ。その日暮らしの気ままな生活で、気が向いたらまたここに戻ってくるかも知れないよ」
 蘭子はグループから離れて、窪地に入って屈み込んで、何かを捜し求めている風だった。
「やはり、妖気のカスがこびりついている……」
 霊感の強い蘭子だから感じられる微かな気配だった。仮に妖魔だったとしたら、跡形も気配を消し去ることができるはずだ。
「中級妖魔というところか……」
「ところで蘭子、そこで何してるの?」
 智子が不思議そうに尋ねる。
 立ち上がって、皆の所へ戻る蘭子。
「何してたの?」
「いえ、何でもないわ」
 とは言ったものの、妖魔がいたということは、誰かが犠牲になるかもしれない。その可能性が一番高いのは京子である。
 横断歩道のある交差点の手前で立ち止まっているクラスメイト達。歩行者信号は赤である。それが青になって渡り始める一行。
 その時だった。
 一台の自動車が、一行の列に猛スピードで突っ込んできたのだ。
「危ない!」
 誰かが悲鳴のような金切り声を出した。
 まさしく京子めがけて突進していた。
 交わしきれない。
 誰しもがそう思ったに違いない。
 奇跡が起こった。
 自動車が急激に右にそれて、横転しながら信号機に激突したのである。
 呆然と立ちすくむ京子。
 一体何が起こったのか、理解できないでいるようだった。

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2017年7月 4日 (火)

夢見の腕輪 其の壱

 近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。
 賑やかな界隈を連れ立って歩く蘭子たちがいた。
 それぞれにアイスクリームなどを頬張り、小脇に写生道具を抱えている。
「まったく……。美術の田丸の野郎!」
「ほんとに高校生にもなって、動物園で写生だなんて、何考えとんじゃ!」
「幼稚園児や小学生ならともかくだよ」
「じろじろ見られて恥ずかしかったよ」
「いつか焼き入れたるで!」
 彼女達が息巻いているのには訳があった。
 本日の六時限目の授業は、国語で担当教諭の都合で自習になるはずであった。六時限目であるから帰ってしまうことも可能であったのである。
 ところが五時限目の美術教諭が、国語教諭の許可を貰って、二時限連続の美術にしてしまったのである。そして天王寺動物園での写生授業となったのである。
 本来なら楽しいはずの自習時間が奪われてしまったのだから、彼女達が憤慨するのも当然であろう。
「田丸の馬鹿やろう!」
 智子が叫びたくなるのも無理からぬこと。
 田丸教諭の悪口を言い合いながら歩き続ける一行。
 ビルとビルの狭間の窪地に露店を出している人物がいた。仲間の一人の京子が気がついて近寄ってゆく。
「あら占いかと思ったら、アクセサリー屋さんね」
 小さな机を黒いシーツで覆って、その上に数点のアクセサリーを並べているというみすぼらしいものだった。
「なんだ、これだけしか売っていないの?」
「はい。これだけです」
「売れているの?」
「いえ、売るために出しているのではないのです」
「売りものじゃないの?」
「はい。差し上げるためのものです」
「どういうこと?」
「つまりです。こんな暗い窪地に潜むようにしている私にあなたは気がつかれ声を掛けてくださった。霊波の共振というか、霊感波長が似通っているのです。これは私とあなたの間に共通するインスピレーションがあったからです。これらの品々はそんなあなたに幸せになってほしいとの願いから差し上げている夢見のアクセサリーなのです」
「夢見のアクセサリーね……」
「どうぞご遠慮なくお受け取りください。どれでも一つお気に召したものを」
 改めて机の上のものを品定めする京子。
 といっても指輪、ネックレス、イヤリング、ブローチ、ミサンガの五点だけしかない。
「このミサンガでいいわ」
 品物を取り上げて手首にはめてみる。
「でも、ただで貰うというのもね……」
 と言いながら、財布を取り出して、
「はい、五百円でいいわね」
 机の上に五百円硬貨を置いた。
「そうですか……。では、ありがたく頂いておきます」
 気にも留めずに普通に受け取る露天商だった。
「ありがとうね」
 手首にはめたミサンガをくるくると回しながら、その場を立ち去る京子。一同もその後についていく。
「五百円は高かったんじゃない?」
「いいのよ。こういうのって気持ちよ。気持ち。何たって夢見のミサンガなんだから」
「まあ、京子がそう思っているのなら、どうでもいいけどね」
 ワイワイガヤガヤと、その場を離れていく一同。
 そして客のいなくなった露天商はというと……。
 ニヤリとほくそ笑んだかと思うと、スーと姿が消えてしまった。
 まるでそこには誰もいなかったような侘しい窪地があるだけだった。
 ふと立ち止まり、振り返る蘭子。
 何か気配を感じたようであった。
「蘭子、なにしてんのよ。行くよ」
 急かされて歩き出す蘭子だった。

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2017年7月 3日 (月)

夢鏡の虚像 其の拾玖

 道子の部屋。
 ベッドに寄りかかるようにしていた蘭子の意識が戻った。
「大丈夫か、蘭子?」
「はい。大丈夫です」
 答える蘭子の懐からは、御守懐剣の虎徹が覗いていた。
「そうか……。虎徹を呼び寄せたのか」
「苦しい戦いでした。呪法や式神だけではとても……」
「そうかも知れないな」
 二人ともが揃って道子の方に視線を向けた。
 夢鏡魔人は倒した。残る問題は道子の容体だけである。
「道子は?」
「大丈夫だ。かなり弱ってはいるが、護法をかけておけば、二三日ですっかり良くなるだろう」
「ありがとう。おばあちゃん」
「なあに、友達を助けようと一所懸命に勉強し、命を掛けて頑張ったんだ。そんな孫娘のためなら、いくらでも力を貸すさ。さてと……、後片付けをするとしようか」
「はい」
 手分けをして、部屋の周囲に置いた燭台や魔鏡などの道具を丁寧にしまい込み、ついでに道子(魔人)が散乱させた部屋もきれいに片付けてゆく。倒れたタンスは式神を使役して元に戻した。

 やがて、道子の両親と刑事二人の待つ居間へと降りてくる二人。
「宮司!」
 その姿を見て、両親が立ち上がる。
「大丈夫です。娘さんは助かりました。取り付いていた魔物は退治しましたから」
「本当ですか?」
「無論です。しばらく安静にしていれば、元気になりますよ」
「あ、ありがとうございます。様子を見に行ってもよろしいですか?」
「もちろんですとも」
 喜々として階段を上がって道子の部屋へと向かう母親。
 その姿を見送りながら、父親が晴代に礼を述べる。
「本当にありがとうございました」
「いやいや、礼なら孫娘に言ってやってやってください。魔物を退治したのはこの孫ですから」
「蘭子ちゃん、ありがとう。道子が聞いたらどんなにか喜ぶでしょう」
「とんでもない。当然のことをしたまでですよ」
 両手を横に振って礼を言うまでもないことを表現している蘭子。
 とにかく円満解決した喜びに溢れている一同であった。
「さてと……」
 晴代が井上課長に向き直る。
「刑事さん達は、これからどうなさるおつもりじゃ」
 夜道で道子に絡んで惨殺された事件が残っていた。
 証言を裏付けるための事情聴取が必要ということで、この家を訪問したのであるから、何もしないで帰るわけにもいかないのだが……。
「ともかく今夜は、このまま引き上げましょう」
 しばらく安静という判断なら、枕元での聴取もかなわないだろう。

 道子の家を出てくる刑事二人。
「どうしますか? 報告書」
「どうしますかと言われてもな……。男に絡まれていた、か弱い少女が、自分の力で図太い二の腕を捻じ曲げ、その首根っこから頭をもぎ取って、十数メートル先に放り投げた。と、証言通りに書くのかね?」
「上層部は信じないでしょうね」
「まあ、暗がりのことでもあるし、目撃者の見間違いということで落ちだな。犯人は通りすがりの怪力男ということにしておこう」
「それが無難ですかね……。なんか、今回も迷宮入りになりそうです」
「運がないと、あきらめようじゃないか。さて、もう一度、殺害現場に行ってみるか」
「はあ……」
 刑事達が立ち去った後に、蘭子と晴代も出てきた。
 大きな背伸びをする蘭子。
「あ~あ。気分がいいわ」
「眠くはないのか?」
「どうかな、ついさっきまでは、気が張り詰めていたから。横になって目を閉じたら、そのまま朝までバタン・キューかもね」
「丁度明日は日曜日だ。昼まで寝ていると良い。晴男には儂から言っておく」
「ありがとう。でも大丈夫よ。若いんだから」
「あてつけかね、それは」
「あはは……」
 仲良く並んで談笑しながら、夜の帳の中へと消えてゆく二人だった。

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2017年7月 2日 (日)

夢鏡の虚像 其の拾捌

 魔人を倒すには、魔人をもってあたるべし。

 魔人はそこいらの妖魔と違って、桁違いの神通力と生命力を持っている。
 陰陽師家の大家でも封印するのがやっとの相手である。
 蘭子が魔人である虎徹を呼び寄せたのは、正しい判断と言える。
「その通り。魔には魔を。負の精神波には負の精神波を。魔を封じ滅する退魔剣なり」
 剣を上段に構え直し、地を踏みしめるように一歩前へと進む蘭子。
 その気迫に押されて、思わず後退する夢鏡魔人。
 相手が人間やその魂なら何とも思わない。
 しかし魔人が相手となると話は違ってくる。
 正真正銘の魔と魔の戦いとなり、どちらの魔力が勝っているかによって分かれ目である。しかも強い念を持った陰陽師も付いている。
 この勝負、自分の方が不利と悟った夢鏡魔人は交渉を持ち掛けてきた。
「ま、待て。話し合おうじゃないか……。そうだ、ここにある鏡の中に封じ込めた魂達を浄化してすべて解放しようじゃないか。そして私は、この魔鏡から二度と現世に出て、人を殺めたりしないと誓おう。おまえは現世に戻って、この魔鏡を完全封印してくれ。な、これでいいだろう?」
 魔人との口約束など当てにはならないだろう。永遠の命を持つ魔人なら、蘭子との誓いを反故にして後世に再び災厄をもたらすのは明らかなることだった。

 この虎徹たる退魔剣に封じ込めたる魔人とは、古来のしきたりにのっとって正式なる【血の契約】を結んでいるからこそ、意のままに従わせることが可能なのである。
 しかし、この鏡の世界の中では、血の契約を結ぶことは不可能であるし、そう簡単には契約など結べないものである。
 夢鏡魔人の申し出は、急場凌ぎの言い逃れに過ぎないのである。
「人の世に、仇なす魔を断ち切る!」
 一刀両断のごとく、渾身を込めて退魔剣を振り下ろすと、解き放たれた魔人の精神波が、夢鏡魔人に襲い掛かる。たとえそれを交わしても執拗に追いまわしてくる。
 突然、蘭子が気を放った五芒星の光が夢鏡魔人の背中を捉えてその動きを封じた。
「た、たのむ。見逃してくれ。同じ魔人じゃないか」
 目の前に迫ってくる魔人に、最期の許しを乞う夢鏡魔人だった。しかし蘭子との契約に従う魔人には、何を言っても無駄である。
「ぎゃあ!」
 退魔剣に封じ込まれし魔人が夢鏡魔人に襲い掛かった。
 断末魔の悲鳴を上げて消え去ってゆく夢鏡魔人。
 蘭子との共闘により退魔剣が勝利した瞬間であった。
 宙に浮いていた無数の鏡が、次々と落下しはじめ地上で粉々に砕かれてゆく。そして封じ込まれていた魂達が開放されて静かに消えてゆく。
「終わったのね……」
 その表情は、苦しい戦いを無事に乗り切った充実感に満ちていた。
 空に青龍が現れて蘭子を祝福するように吠えた。
「ありがとう、青龍。そしておまえもな」
 退魔剣に目を移すと、応えるようにひとしきり輝いた。
 やがて大地が崩れ出した。
 鏡の世界を支持する力が消滅したために、崩壊をはじめたのである。
 退魔剣は虎徹へと戻り、それを高く掲げて叫ぶ蘭子。
「現世へ!」

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2017年7月 1日 (土)

夢鏡の虚像 其の拾質

 一進一退が続いている。
 蘭子は次第に気力が衰えているのに気づき始めていた。
 一方の魔人は平然としていた。
 目の前に鏡が迫っていた。
 それに反映された自分の疲れきった表情。
 間一髪身をかわして鏡攻撃を避けるが、バランスを崩して青龍の背中から落下して地に伏した。同時に青龍の姿も消え去っていた。
「そうか……。鏡は、私の精神波を吸収しているのか……。そして奴は」
 その時、どこからもなく精神波が届いてきた。
「その通りじゃ蘭子」
 晴代の思念波だった。魔鏡を通して鏡の世界へ思念波を送り込んでいるのだ。
「おばあちゃん!」
「いいか、良く聞け蘭子。魔人はそこら中にある鏡の中に閉じ込められた魂から、無限ともいえる精神波を吸収して、消耗した体力を回復させているのだ。そしておまえは、鏡に精神波を吸収されて、体力を消耗するだけだ。落ち着くんだ。怒りの精神波は、邪念や恐怖といった負の精神波に近い。それこそが奴の活力の源なのだからな。そのままだと、他の魂と同様に鏡の中に封じ込まれて、永遠に鏡の中を彷徨うことになるぞ。怒りを鎮めよ。冷静さを取り戻せ!」
 そこで、思念波は途切れた。
「そうか……。そうだったのね」
 ゆっくりと立ち上がる蘭子。
 魔人が輪姦シーンの鏡を見せたりして、わざと怒らせて興奮させるような言動をしたのは、蘭子の精神波を負の力へと導くためのものだったのだ。
 邪念を捨て、精神統一をはかる蘭子。
 冷静さを取り戻し始め、やがてその身体からオーラが輝き出しはじめた。
 魔人の放つ鏡が、そのオーラによって砕け散ってゆく。
 正義に燃える精神波が、負の精神波である鏡に打ち勝ったのだ。
 目を閉じ、静かに呪法を唱える蘭子。
 突然、歯で指を噛み切って血を流し、その滴る手を高く掲げて叫ぶ。
「虎徹よ。我の元へいざなえ!」

 現世の土御門家の晴代の居室。
 棚に置かれた御守懐剣が輝いて一瞬にして消えた。

 鏡の世界の中空の一点から強烈な光条が蘭子を照らし出した。
 そして一振りの剣が、ゆっくりと蘭子の差し出した手元へと、ゆっくりと舞い降りてその手に収まった。
 虎徹に封じ込まれた魔人の精神波が解放されて怪しげに輝きだす。
「それは? 魔剣か!」
 さすがに夢鏡魔人も、これには驚かされたようだった。
 虎徹の本性も【人にあらざる者】であり、その実体は魔人である。
 鏡の世界の中へ飛び込んでくるくらいは簡単にできるはずであった。

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